妊娠中絶反対派が配布している「中絶とドメスティックバイオレンス」パンフ

 先日カトリック系の大学で行われたコンファレンスに参加したところ、「妊娠中絶反対」の立場から書かれたパンフレットを多数置いてあるテーブルがあったので、参考資料にと各種一部ずつもらってきた。その中でも一番酷いと思ったのは、「中絶とドメスティックバイオレンス」と題したパンフ。以下は、その中から一番おそろしい部分の抜粋。

すべてのドメスティックバイオレンスが中絶によって起こされるわけではありませんし、全ての中絶がドメスティックバイオレンスを引き起こすこともありません。しかし、過去二十五年間のあいだに妊娠中絶の件数とドメスティックバイオレンスの件数がともに上昇してきたのは、決して偶然ではありません。
(中略)
妊娠中絶手術を受けたあとに情緒不安定になった女性は、さらなる暴力の被害者となりやすくなります。これらの女性は暴力行為を最初に仕掛けることが多いですが、肉体的な力の強い男性がより深刻な怪我を引き起こすことが多いのです。
(中略)
中絶手術を受けた女性は、罪悪感にかられて、自分を罰するためにパートナーを利用することがよくあります。自殺願望があっても自傷行為に踏み切ることを恐れる女性たちは、暴力的な男性とあえて付き合い、自分を攻撃させようと挑発します。

 もうすごすぎてどこからツッコミいれればいいのやら。このパンフレットの著者はDVの多くは中絶によって引き起こされると主張しているばかりか、その経緯とは中絶に罪悪感を感じる女性が自分を罰するためにわざわざ暴力的な男性と付き合ったり、挑発したりして、自分に暴力をふるわせている、と思っているらしい。加害者とされる男性は実のところはそういう女性に「利用」されているだけであり、先に女性に暴力をふるわれて反撃している、とのこと。女性が大きな被害を受けているのは単に男女の身体的な力の差によるもので、実際に悪いのは女性、それよりもっと悪いのは中絶、という方向に話を持って行きたいらしい。
 どう見ても、妊娠中絶は悪の根元みたいな主張とDVの被害を受けた人を責めるような主張を混ぜあわせただけの妄想にすぎないように思うのだけれど、このようなことを書いてパンフレットとして配布するということを考えた人がいる、ということが、すでに信じられない。てか人間不信に陥りそう。
 パンフのスキャンを見たい人がいたら、ついったーで @emigrl にメッセージを。

いつから「フェミニスト」は「準備と覚悟」なんて説くようになったんだろうか?

 ダイヤモンド社のサイトDIAMOND onlineに「特別レポート」として、「悲惨な“男おひとりさま”と“予備軍”が急増中! 30代からでも早すぎない、『老後の準備』と『覚悟』」というタイトルの上野千鶴子さんへのインタビュー記事が掲載されている。おそらくタイトルは編集部が考えたもので、上野さん自身は関わっていないのだろうけれども、わたしが最初にこのタイトルを見た時に感じたことは、「わたしだって30代だけれど、老後の準備をしたくったってそんな余裕どこにもないよ!」という反発だった。
 でもインタビューを読み進んでいくと、どうもわたしが思っていた内容とは違う。その違いがよく分からなくて、つまり上野さんが何を言っているのかよく分からなくて、もう一度最初から読みなおしてみて、ようやく分かった。上野さんがこのインタビューで言っている、「準備と覚悟」が必要な「老後」の「悲惨」というのは、わたしが思っていたような、主に経済的あるいは生活上の困難や悲惨さのことではなかったのだ。二度目に読んでみてはじめて理解できた上野さんの真意は、社会的強者である男性が、仕事を退職して社会的な役割や地位を失ったり、介護を必要とする弱い立場に置かれるようになったときに、精神的に悲惨な思いをしてしまう、ということに警鐘を鳴らすことのようだ。
 つまりわたしは、タイトルから「老後の生活の不安」について30代から準備しろという内容だと解釈して、「そんな余裕どこにあるんだよ」と思いながらこのインタビューを読んでいたのだけれど、上野さんはどうやらそのような不安をそもそも取り上げようともしていない。少なくとも経済的には、老後も普通に生活ができるということが、まるで当たり前の前提であるかのようになってしまっている。生存の物質的な条件を無視して「心のありかた」だけを取り上げるなんて、マルクス主義フェミニストとしてどうなのかと思うんだけれど。
 そもそもマルクス主義かどうかは別として、フェミニストはいつから「準備と覚悟」なんてのを説くようになったんだろうか。実存的不安を抱える人々に「こう生きたら楽に生きられる」と説くのではなく、理不尽な悲惨を生み出す社会制度を分析し、告発し、変革することこそが、フェミニストと呼ばれる人たちのやることだと思っていたのだけれど。
 

図書館で見かけた風景

今日、図書館にこんなのが飾ってあった。

   

   

一体なんなんだろうか。

ついでに、もう一枚。いま米国では選挙中なんだけれど、オレゴン州は郵便投票(持ち込みも可能)ですでに投票がはじまっているので、図書館の貸し出しカウンターにも投票箱が設置されていた。

   

バックラッシュってなにそれ食べられるの?

 小ネタだけど、しばらく更新していないので生存確認も兼ねて。
 最近話題になっている、中山義活経産政務官の「日本女性は家庭で働くのが喜び」という発言に抗議する会ができた、という話を、「某秘密主義ML」(検索ワード)で見かけた。会といっても多分個人だと思うけど。転送して欲しいということなので、呼びかけ文を全文引用する(改行箇所は改変しています)。

中山義活政務官(民主)の発言はひどいです。
こんなバックラッシュ議員が、政府高官とは。
私も経済産業省にメールしました。

皆さん、時間があったら出してください。短文でいいと思います。ひとりの声は小さくても、たくさん集まればきっと変えられます。

下をクリックしたら送れます。
経済産業省 ご意見・お問い合わせメール・フォーム
https://wwws.meti.go.jp/honsho/comment_form/comments_send.htm#form

            中山政務官バックラッシュ発言に怒る会

ーーーー抗議・要請文(案)ーーーー

中山義活経産政務官、「日本女性は家庭で働くのが喜び」発言を撤回し、ニ度とこのような発言をしないと約束してください。

報道によれば、発言は、アジア太平洋経済協力会議APECの関連で開かれた「女性起業家サミット」の昼食会(10月1日岐阜市)でなされました。

経済産業省中山義活政務官が出席し、「日本女性は家庭で働くことを喜びとしている」などと発言。さらに日本女性が家庭で働くことを「文化だ」とも言ったそうです。「日本の奥さんは力がある。デパートに行けば、初めに子どものもの、次に奥さんのもの、その次がペットのもの。4番目にご主人のものを買う」などと語ったということです。

私的な場での雑談でなく、女性の社会的地位の向上のため21カ国から150人もの女性起業家が訪日しての国際会議における政府高官による発言です。事態は深刻です。

彼は後で、「差別するつもりはない」と弁解したということです(毎日)。しかし、「日本女性は家庭で働くのが喜びとしている。文化だ」との発言そのものが、差別を導き、または差別を温存することにつながります。そうした「文化」を修正していかなければ、女性が活躍することは非常に困難なのです。

女性差別撤廃条約には、男女平等の達成には、「女は家に、男は外に」という伝統的役割の変更が必要である、と明記されています(前文)。さらに、男女の定型化された役割に基づく偏見・慣習・慣行の撤廃を実現するため、社会的及び文化的な行動様式を修正しなさい、とも明記されています(5条)。

昨年夏、日本政府は、男にふさわしい、女にふさわしいとみなされている役割や任務が変わるよう働きかけなさいと、国連女性差別撤廃委員から
勧告されました(女性差別撤廃委員会・最終見解30項)。

国会が条約を批准して4半世紀がたちました。条約は国内法体制の一部です。知らないのはとても恥ずかしいことです。

何よりも、条約をまず先頭に立って守るべきは、政府の要人、すなわち中山政務官、あなたがたなのです(女性差別撤廃委員会・最終見解14項)。

中山政務官は、発言を撤回し、謝罪すべきです。その上で、女性差別撤廃条約ならびに男女共同参画社会基本法を順守するよう国民に約束してください。

以上、ここに要求します。

 これにたいして、疑問に思うことがあったのでこんな返事をしてみた。

中山義活政務官(民主)の発言はひどいです」には同感です。

というか、女性起業家サミットという場でこういう発言ができるという点で、そもそも政治家として判断力がどうかしてます。

でもこれは、「バックラッシュ」発言なんでしょうか?だとすると、この場合「バックラッシュ」とはどういう意味ですか?

「差別議員」「差別発言」で十分であろうに、「バックラッシュ議員」「バックラッシュ発言」という描写する意図がよくわかりません。

以前から反「バックラッシュ」の取り組みに関わっている人にとっては「バックラッシュ」でも十分意味が伝わるでしょうが、それ以外の人にとっては分かりにくいと思うのですが。

 返事くるだろうか。
 しっかし、「条約を知らないのはとても恥ずかしいことです」ってすごいよね。
 そのまえに、このブログが既に世間から忘れ去られていて誰も読んでいないおそれあり。ついったーでついーとをついって宣伝するか。

ブラウン大学・プロビデンスのおいしいヴェトナム料理とアーキテクチャ支配

 今週は、ブラウン大学でワークショップをやるために、ロードアイランド州プロビデンスに行ってきた。
 ちょうどプロビデンスでは、大学バスケットボールのチャンピオンシップが開催されるタイミングだったので、バスケファンと思われる人でホテルは満員状態。わたしが泊まったのは、なぜかやたらと広い部屋だったのだけれど、もしかすると一人用の安い部屋に空きがなかったのかも。
 時間があったので、ホテルから歩いて20分くらいのところにある、ロードアイランド・デザイン学校の美術館を見学。そこはもちろん写真撮れないんだけれども、こんな感じの街。

   
   
   

 きれいなところなんだけれども、公園で見かけたのがこのゴミ箱。

   
   

 これは以前ポートランドで見かけたものと、まったく同じ。プロビデンスでも、こういうゴミ箱が「ホームレス対策」として設置されていたりするんだろうか。


 ワークショップのあと、地元の食通に「店員のサービスは最悪だけれど、料理は最高にうまい」という、それを聞いたら一度行ってみなくてはいけないと思うくらい魅力的な説明のヴェトナム料理屋を紹介してもらって、食事に行ったのだけれど、そこでもアーキテクチャによる支配の例を発見。

   
   

 ここは大学の近くで、道の片側にそのレストランがあり、その向かい側に大学の施設があるのだけれど、このフェンスはその大学側の歩道と道路のあいだに置かれている。フェンスには「この道を横切るには横断歩道を使ってください」みたいなことが書かれている。写真から見て分かる通りの細い道に、横断歩道を使わせるためにフェンスまでわざわざ置くのは珍しいし、それを大学がわざわざやっているというのも不思議な感じ。案内してくれた人によると、フェンスを飛び越えて道を横切ろうとする学生が多いために、余計に危険になっているという話。
 ちなみに、料理は評判通りのおいしさだったけれども(ヴェトナム風のシーフード釜めしみたいなのを食べました)、店員の態度はそれほど悪くなかった。機会があればまた行きたい。
 それにしても、ただ「おいしい店」として紹介されるよりも、「サービス最悪だけどおいしい店」と言われた方が、なんだかずっとおいしいような気がしてしまうのが不思議。
 プロビデンス空港は別名T.F. グリーン空港とも呼ぶらしい。T.F. グリーンってどこの誰?と聞いたら、このあたりの名家にこのT.F. グリーンさんのグリーン家と、ブラウン大学を作ったブラウン家というのがあるらしい。もしかしたら、緑と茶色以外の色もいるのだろうか…