DV被害者支援組織への批判と、それへの反発

 先月公開したエントリ「DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著『「二次被害」は終わらない』に絶望せよ」では、性暴力やドメスティックバイオレンスの被害者を「支援する人たち」が、実際には被害者とのあいだに非対称な権力関係を作り上げかれらを支配することが多々あることを指摘したマツウラマムコ氏の論文を紹介した。ところがこれに対して、かなり不思議な感想をよしこさんという人のブログで見かけた

きっと、これを書いた人はろくでもない支援組織(Fのような)しか知らないのだろう。
で、支援組織はその1つしかないと思っている、と考えれば納得がいく。

 こうした感想は、わたしから見ると非常に不思議に感じる。というのも、マツウラ氏もわたしも、どこか特定の支援組織で見かけた問題を指摘したわけではない。ほとんど全ての支援組織に共通した構図を指摘しているのね。それは例えば、シェルターにおける「支援者」と「管理者」という両立しえない役割が同一人物に任されていることや、論理的に「対等な関係」ではあり得ない状態であるのにことさら「対等な立場からの支援」を強調する支援組織の在り方など。それに反論があるというならまだしも、このような「感想」を書かれたのではわたしのエントリをどこまでちゃんと読んでいただけたのか疑問に思う。
 この人は、「ろくでもない支援組織」の例として「売春防止法に基づいて作られた母子寮」を挙げ、そういうところでは「職員も総入れ替えに近いことをした方がいいかも」と書いているけれど、わたしやマツウラ氏が指摘しているような問題は職員を入れ替えれば解決する種類の問題ではない。というより、職員が全員あらゆる面で優れた人物であるという「ありそうにもない前提」に頼らなければいけないような制度は、そもそも根本から間違っている。飛び抜けて優れた人材なんてそんなにいるはずがないのだから、標準的な職業倫理を持った人が無理せず自然に働いていて問題が起きないような制度を設計しなければ、職員や被害者の女性たちに理不尽な負担がかかるばかり。支援者たちが自らの善意の限界を悟らなければいけないというのは、そういうこと。
 それはともかく、一番驚いたのが、このブログエントリのタイトルと最初の一行。

(タイトル)なんでもひとくくりにするのは、DV加害者の特徴か?


今日の感想は、実はタイトルが全て。

 「なんでもひとくくりにする」というのは、マツウラ氏やわたしがDV関連の支援組織について「ろくでもないものが一部にある」と言うのではなく、支援者一般について批判的なことを主張していることについてでしょ。ということは、この人はわたしやマツウラさんを「DV加害者」と決めつけていることになる。いや、この人はマツウラさんの論文を直接読んだわけではないから、加害者呼ばわりされているのはわたしだけかな? いずれにしても、それはいくらなんでもあんまりじゃないの?
 そりゃ確かに、DV加害者が被害者支援組織を逆恨みして批判するというのはありそうな話だ。でも、わたしの「支援者批判」を普通に読めば、仮にそれに同意しなかったとしても、わたしがDV被害者のエンパワーメントを第一に考える立場からそうした批判を書いていることくらい分かりそうなものじゃない? もしこのエントリだけで判断できなければ、過去にもDVについて書いたエントリはたくさんあるから、ちょっと遡って読んでみればいいじゃん。少なくとも、相手を加害者呼ばわりする前にその程度は調べて欲しいなー。
 ま、悪気ある人じゃなさそうだから、それ以上言わないでおくけど。