プロアナについての議論が進まない理由

 「だめサラリーマンなMtFTG」を自称するくぼりえさんが、わたしが井出草平さんのブログに残したコメントに反論(?)しています:

macska 「フェミ業界ではプロアナの評判は悪いですが、わたしは社会的権力を持たない人たちが「自己コントロール感」を獲得するひとつのクリエイティヴな手段として断固擁護の立場です。危険だ危険だと言うけれど摂食障害で死ぬ人なんて米国全体でも年間100人もいないわけだし」
http://d.hatena.ne.jp/iDES/20060520/1148083550#c


くぼりえ 「鬱病で死んだやつは歴史上いないよな。GIDならなおさら。アトピーでもなかなか死なない。エイズだってHIVウイルスが毒素を出してそれで死ぬんじゃないから、エイズで死んだやつもいないよな。死なないものは問題じゃないってよ!!!」

 これ、もしくぼりえさんが本気でこういう事を言っているのだととしたらわたしは大変な誤読をしていることになるのだけれど、そうじゃなくてアイロニーとして言っているんだと解釈します。つまり、わたしに対して「死なないものは問題じゃないというのか、それは酷いじゃないか」と怒っているんだということです。
 文脈を考えていただくと分かりますが、くぼさんはわたしの発言を誤解しています。摂食障害が問題でないとはわたしは全然言っていない。
 おそらくくぼさんが読み落としている文脈を説明すると、一般に摂食障害と言われる人のなかの一部にプロアナを自称する人たちがいて、その人たちは「自分たちはビョーキじゃない、摂食をコントロールすることでエンパワーされているんだ」と主張しているわけです。それに対して一般社会の側が「そんなこと言ったって、下手すると死ぬ危険があるじゃないか」と批判するんですね。
 そういう一般社会の批判に対して、「摂食障害の人なんてアメリカで何百万人といるのに、そのうち死亡する人なんてほとんどいませんよ」とわたしは反論しているわけです。その程度の小さなリスクを大袈裟に宣伝して、実際に自分にとってプロアナは苦痛の原因ではなく解決方法だと言っている人たちに余計なおせっかいを焼くのは間違いだというわけ。もちろん、本当に死にそうなくらい深刻なケースでは、場合によってはおせっかいが必要かもしれないけどね。
 つまり、「死ぬかどうか」だけを最優先させて議論を進めているのはわたしじゃなくて、プロアナに反対している人たちなの。死ぬ人がいるというだけの事実をもって何か言おうとすることに対する反論として「そんなのはごく例外的だ」と指摘しているのであって、死ななければ何の問題もないのか、みたいに言われると困ってしまう。だってそれは、わたしがプロアナ反対論者に言いたいことなんだもの。
 ちなみに、「年間100人もいない」というのを読むと「100人近くもいるのか」と驚くかもしれないけれど、実際のところそれほど多くないはず。死因に「拒食症」とはっきり書かれていることは滅多になくて、拒食症が原因で死んだ場合でも心臓マヒなどの他の死因が記録されることが多いので、「若くて極端に体重の低い女性の心臓マヒ」など拒食症が<疑われる>例を全て足していった場合にだいたい100前後になるというだけの話。実際のところ、そのうちどこまでが実際に拒食症のケースなのかは分からない。
 あ、それからアメリカの人口は2億8000万人なのもお忘れなく。