創造科学の無限後退

 あの苺畑カカシさんが本家の「新しい無神論者」エントリに「なぜか今回はエミさんに同感」とコメントしてくださっていて、わたしの真意とかなりポイントがずれている気もするんだけど、彼女のブログからも現在公開中の「創造科学」推進映画を取り上げるとともに紹介してくださっている。そこで今回はそのエントリへ軽くコメント。
 まず、カカシさんの文章から引用するけど、

困ったことに無神論者で科学作家のリチャード・ドーキンスなどが、進化論に代表されるように科学と信仰は相容れないと断言してしまっていることから

 とか

皮肉なことにその一番の手助けをしているのが、進化論を信じる者は無神論者であると言っているドーキンスなのである。

 みたいな部分を読むと、カカシさんはドーキンスの主張をかなり誤解しているんじゃないかと思う。いくらドーキンスでも、世の中には無神論者ではない科学者や進化論の支持者が存在することを丸ごと無視できるはずがないし。
 それはともかく、

私は神の存在を信じる。科学を学べば学ぶほどその神秘さに驚嘆しない科学者はいないだろう。これこそ偉大なる神の創造であると信じることに何の無理があるというのだ?

 うーん、それがあるんですよ。だって、科学が明らかにするこの世界の「驚嘆するほどの神秘さ」の背景には必ず「偉大なる神」のような大いなる存在の意志があるとするなら、その「偉大なる神」という神秘的な存在もどこかの誰かの意志によって作られたものでなければおかしいでしょ。
 もしそうでなく、「偉大なる神」のような神秘的な存在が、だれの意志にも設計にもよらずに存在することができるのだとすると、じゃあ科学によって明かされるこの神秘的な世界だって神の意志を前提とせずにも存在できてしまうことになるわけ。
 要するに、創造論者はこの神秘的な世界は進化論では説明がつかないと言うのだけれども、それを説明するために創造主の存在を仮定することは「創造主の存在に説明がつかない」というもっと大きな問題を引き起こしてしまうのね。もし創造主を創造した存在が別にあるのだとすると、その存在がどのようにして生まれたのかまた問題になる。進化論は、そのような無限後退を起こすことなく生命の神秘をうまく説明できるのです。
 だから、カカシさんの論理にはどうしても「無理がある」んです。でも、それを了解したうえで、「まぁ論理的に言えばちょっとありえそうにないけど、それでも自分は創造主たる神を信じる」というのはもちろん個人の自由。信仰に論理的な理由などいらないからね。

種族の進化こそ神の設計であると考えれば進化論と創造説に矛盾はない。

 えー、だから、進化論と創造説はレイヤーの違う話だから矛盾しないんだって。進化論と相容れないのは、疑似科学理論としての「創造科学」です。
 ところで、フランシス・コリンズの『The Language of God: A Scientist Presents Evidence for Belief』をちょうど昨日図書館から借りてきたところでした。ドーキンスらと対照的な立場の科学者が書いた本として、信仰者たちの評判が良いようなので参考にしようと思って。もしかしたらあとで感想書くかもです。