在日朝鮮人・韓国人社会の側にも変化が必要、だけど、そのためにも日本社会の変化が重要 (s-ryooさんへのお返事)

 エントリ「『在日はみな朝鮮系、韓国系日本人』になるために」にいただいた、id:s-ryoo さんのコメントにお応えします。ちょっと大事な話かもしれないので、別エントリ立ててみました。

s-ryoo 2009/05/07 07:05


かつて在日韓国人宋斗会氏と在日台湾人林景明氏による日本国籍確認訴訟というものがありました。
これは日本政府がサンフランシスコ講和条約発効時に在日韓国・朝鮮・台湾人の個々人の意思確認を行うこと無く一律に日本国籍喪失の扱いをしたのは「何びとも本人の意思によらずに国籍の剥奪・強制が行われてはならない」という国連人権規約に反するもので無効であるとして、生まれた時に日本国籍を所持していて、一度も日本国籍放棄の意思表示をしていない自分は今も日本国籍所持者であると主張したものです。
macskaさんの「謝罪」に関する考え方は宋さんや林さんの考え方に近いものですね。
私は宋さん・林さんの訴訟の支援に関わった者で、当然そうした考え方を支持します。


ただ特に宋さんの場合、在日韓国・朝鮮人からは反発する声が多かったですね。
「韓国人なのに何故日本国籍を欲しがる」「韓国人としての誇りは無いのか」という声ですね。
国籍と民族を混同しているのは日本人だけでは無く在日韓国・朝鮮人もまた同じなのです。


たとえ帰化の条件が緩和されても、日本に帰化した人を裏切り者呼ばわりして在日韓国・朝鮮人社会から締め出してしまうような在日韓国・朝鮮人の在り方が変って行かなければ帰化は進まないと思いますが。

 たしかに、もしそういう雰囲気が在日朝鮮・韓国人社会にあるのであれば、それは変わっていってほしいですね。しかしティム・ハーフォード『人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く』に書かれているように、日常的な抑圧を受けているマイノリティのコミュニティが、そこから抜け出す準備をしているかのように見える人に厳しいのは、コミュニティ防衛のための合理的な「生き伸びるための知恵」でもあります。
 そのことを押さえたうえで、在日コリアンの人が「帰化したとしても同胞は同胞、これまで通り一緒に生きていこう」と呼びかけるのはとても良いことだと思うのだけれど、日系日本人の立場からはそうした変化を期待するだけでは不十分です。なぜなら、在日朝鮮・韓国人社会が同胞の帰化をそれほど恐れるのはコミュニティ防衛のための合理的な行動だということは、そのような防衛がかれらにとって合理的になるような状況を強いている「日系日本人」社会の排他性や同化圧力の強さがそもそもの問題だからです。一方で在日朝鮮・韓国人社会が閉鎖的にならざるをえない要因を日本社会が作っておきながら、そのことに目を向けずに「在日朝鮮・韓国人社会は変わっていかなければいけない」とは言えないでしょう。すなわち、在日朝鮮・韓国人社会のあり方も変わっていく必要があるでしょうが、そのためにもまず日本社会の側が変わっていくことが重要です。
 たとえばもし、ただ単に日本政府によるなんらかの温情措置か施しのようにして帰化条件が緩和されることがあっても、それでは在日朝鮮・韓国人社会の側の変化は望めません。しかし、もし日本政府が正式に特別永住者に対して謝罪して、もともとわれわれの間違いによって国籍を奪ってしまったのだから、希望者には無条件で国籍を与えます、それがあなた方の当然の権利ですから、と発表したなら−−そのことを通して、日本国は日系日本人も朝鮮・韓国系日本人も対等に扱われる多民族・多文化国家であることが内外に宣言されたなら−−在日朝鮮・韓国人社会の側の反応もいくらか変化してくるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。楽観的すぎるかなー。