キャサリン・マッキノン、一九九一年の座談会でクラレンス・トーマス最高裁判事を支持する発言
本家ブログでフェミニスト法学者キャサリン・マッキノンの名前が出ているので、それに関連したおまけをこちらに。
ハードドライブの中の古いファイルを整理していて、一九九一年にブッシュ(父)大統領によって最高裁判事に指名された(が、まだ承認されていない時期の)クラレンス・トーマスについての座談会記事を発見。著名なフェミニスト法学者だから呼ばれても別に驚くようなことじゃないけど、キャサリン・マッキノンが座談会に参加していた。掲載誌は、以前わたしがウガンダ「反同性愛法」についての記事を寄稿したこともあるTikkunの一九九一年九月号(目次)。この座談会で、キャサリン・マッキノンは現在の最高裁で一・二を争う超保守派のトーマスについて、次のように発言している。
保守派はたとえばポルノグラフィが引き起こすような、ほんとうの害悪について語ろうとしている。リベラルはその害悪を矮小化し、ポルノ製作者の「表現の自由」として擁護している。女性の経験からは、右翼的な「法と秩序」という路線のほうが、少なくとも女性に対する性暴力の現実を踏まえているという点で、納得がいく。わたしは法律家として、トーマス判事の法廷で議論をしなければいけないかもしれないことに、まったく脅威を感じていない。かれは話がわかる人だと思う。一部の女性団体は、かれの妊娠中絶についての考えを理由として、それほどたいした根拠もなくはじめからトーマスを非難しようとしているが、わたしはそれには反対だ。
その後トーマス判事はセクハラ疑惑で追求を受けながらも上院によって承認され、最高裁判事になったが、それ以来のかれはフェミニストにとってとても「話がわかる」相手ではない。アントニン・スカリア判事とならんで、四人いる保守系判事のなかでもとくに急進的な保守としてことあるごとにフェミニストの怒りを買うような行動を取っているだけでなく、最近では、保守政治活動家から高額のプレゼントを受け取ったり、家族がはじめた政治団体に多額の寄付をしてもらったりしていることも明らかになっている。反「ポルノ・売買春」の価値観を共有しているという一点だけで、こういう極右的な人たちとつるむのはホントどうにかしてほしい。(でも、こういう発言をあんまり紹介したら、保守的な人からは逆に「マッキノンって偉いじゃん!」って反応がありそう。)