「ただの女装っ子で妥協しちゃダメ」は違うと思う。てか「ただの」「妥協」ってなによそれ。

わたしは日本では年末に紅白歌合戦なんてものがあることすら覚えていなかったわけだけど、NHKによるレディ・ガガの曲の字幕翻訳がツイッターで議論になっているのを見かけた。で、なにかおかしいなあと思いつつ放送を見ていないわたしには分からない話だと思って放置していたのだけれど、id:saebouさんがブログでこんなことを書いているのをみかけて、とても驚いた。

動画が消されているので全部の字幕を検証することはできないのだが、途中一番ひどいなと思ったのが"Don't be a drag, just be a queen"を「ぼやいてないでいっそ女王になろう」と訳したところである。英語の映画やテレビドラマを普段から見て英語を勉強している人にはすぐわかると思うのだが、これはdrag queen(女装する男性エンターテイナー、日本語で表記するとドラァグクイーン。男装する女性エンターテイナーはdrag king、ドラァグクイーンのような女装をする女性エンターテイナーはfaux queenとかいう。そもそも男/女をどう区別するかという話はまあここではおいておく)にひっかけたシャレた歌詞で、非常に訳しにくいのだが「ただの女装っ子で妥協しちゃダメ、なるならステキな女王様に」というようなニュアンスであろうと思う。ところがこの訳者はおそらく"drag"に「異性装」の意味があることを知らない。どうも訳者はこれがdrag queenという単語の一部であることがわからなかったようで、苦し紛れの「ぼやいてないで」という翻訳はたぶん「だらだら引っ張る」とか「うんざりする」というようなほうのdragのもうひとつの意味からきている(なんかちゃんと勉強しない学生のテスト答案を採点する先生みたいな思考回路だが)。
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20120102/p1

「don't be a drag, just be a queen」というのがドラァグクィーンにかけた言葉遊びだというのはその通り。でも、だからといって前半を「ただの女装っ子で妥協しちゃダメ」と解釈してしまうのは、意味としてもニュアンスとしてもまったく違う。違いすぎて最初よく分からなかったくらい全然違う。「don't be a drag」というのは、つまらない奴になるな、つまらないことを言う(する)な、程度の表現。たとえば、みんなで週末どこに遊びに行こう、みたいな話をしているときに、一人だけあそこは混んでいる、あそこは楽しくない、みたいに欠点ばかりあげてみんなの気分を盛り下げている人がいたら、その人に「don't be a drag」と言ったりする。なのにこれを「ただの女装っ子で妥協しちゃダメ」と解釈するのは、saebouさんが「女装っ子」のことを「つまらない奴」だと思っているのでないとすれば、ちょっと理解できない。「ぼやいてないでいっそ女王になろう」というNHKによる訳のほうが、言葉遊びの面白みには欠けているものの、訳としては正しい。
saebouさんは、NHKの訳は「『だらだら引っ張る』とか『うんざりする』というようなほうのdragのもうひとつの意味からきている」のではないか、と推測しているけれども、それはdragの動詞としての意味。ガガの歌詞では冠詞の「a」が付いていることから分かる通り明らかに名詞なので、辞書で名詞としての「drag」を調べてみると、以下のような説明がある。

drag (noun)
2. [ in sing. ] informal a boring or tiresome person or thing: working nine to five can be a drag.

例文の「working nine to five can be a drag」は、「午前九時から午後五時まで働くのって、ちょーしんどい」みたいな感じ。インフォーマルな表現とされていて、確かに硬い出版物ではみかけないけど、会話やネットや軽い雑誌などではよくある普通の言葉。
以上をふまえて「don't be a drag, just be a queen」というのをみると、前半はごく普通の表現で「つまらない奴になるな」って意味。後半はその「drag」にかけて、女王/ドラァグクィーンみたいに自分に自信を持って堂々としようよ(@chicomasakさん風には「ファビュラスにいきましょ」)、と呼びかけていて、そこが言葉遊びになっている。言葉遊びであるという点ではsaebouさんが正しいけれども、前半を無理に複雑に解釈しすぎ。てかそもそも、「ただの女装っ子」の「ただの」って、「妥協」って、それどーゆー意味なんだろうか。
ちょっと検索してみたところ、英語圏でも歌詞のこの部分の解釈に悩んだ人は皆無ではないようで、Yahoo! Answersで意味を聞いている人はいる。でもすぐにわたしが上で説明した通りのごく普通の回答が出て、とくに議論にもならずに終了している。「don't be a drag」という表現を知らない人にとっては混乱するかもしれないけれど、これは全然難解でもなんでもない、ごくありふれた表現を使ってちょっと言葉遊びを入れただけの歌詞。
これだけ解説したのは「ただの女装っ子で妥協しちゃダメ」という明らかに間違った解釈が多くの人にそのまま受け入れられかねないのが嫌だったからだけど、わたしはこの曲のメッセージ自体はあんまり好きじゃない。それは、ゲイやその他の社会的マイノリティの人たちの自己肯定を困難にしている社会的状況を放置したまま自己肯定を呼びかけるのは、単なるネオリベ自己責任論であり、犠牲者非難につながると思うから。わたしは最近、性暴力やドメスティックバイオレンスのサバイバー支援におけるポジティヴ志向や自己肯定感の称揚を批判する「ネガティヴ・サバイバーシップ」というのを提唱しているから、こういう無責任かつ強迫的な自己肯定感の強要はとても気になる。
ガガの歌詞やその他の同種のポップミュージックについては、フェミニストポップカルチャー雑誌Bitchの最新号に掲載された「Raise Your Glass If U R A Firework Who Was Born This Way」(タイトルはPink「Raise Your Glass」、Ke$ha「We R Who We R」、Katy Perry「Firework」、Lady Gaga「Born This Way」から)という記事で詳しく論じられているので、英語が読める方は是非。って思ったけど、そもそも英語が読める人はわたしのこの記事なんて当たり前すぎて最後まで読んでいないという気もw