フェミ版「家族の価値」の魅力

 本家ブログに「「完璧な愛」が隠蔽する国際養子制度の帝国主義的歴史」を掲載する。久々に林道義関連ではない記事を書けて良かった。以前からの読者が呆れて逃げ出していなければいいけどな。
 ところで、養子問題については以前から「いつかきっちり書こう」と思っていたのだけれど、今回それを選んだ理由は林道義さんとの論争と無関係ではない。かれが道徳的な「家族の価値」を押し付けるならば、わたしは社会的公正の観点から「家族」について論じてやろうと思ったわけ。「家族の価値」というのを右派の専売特許にしておく必要はないわけで、フェミニストやリベラルの側から「家族の価値」をキーワードとしてドメスティック・バイオレンスの問題を訴えたり、家族をきちんと養えるような賃金水準を求めたりすることはできるはず。家族がお互いに暴力を振るわず子どもたちに十分な衣服や食料を与えることと、同性愛者やシングルマザーを差別し疎外すること、どちらがより「家族」を尊重していることになるのか明らかでしょ。
 ところで、こう言うと悪いんだけど、林道義関連のエントリを書くとコメント欄でわけの分からない議論が延々と続くのに、今回みたいなマトモな文章を書くとコメントが少ししか付かないのは、どういうコトなんだろうね。わたしから見ると、林道義氏との論争は当たり前のことを当たり前に言っているだけで、どうしてそんなに盛り上がれるのか不思議なんだけど。
 …と思ったら、はてなブックマークの方に的確に内容を理解したと思えるコメントが多数付いている。それは嬉しいんだけど、ブログのコメント欄ってなんだか悪貨が良貨を駆逐してる感じがあるので、駆逐されちゃわないように一言でもいいからコメントくれたら嬉しいです>ブックマークしてるみなさま