「女性に対する暴力法」が、暴力行為を「平等権の侵害」と規定した意味

 本家エントリ「北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争で、The New Republic に掲載された記事を紹介した。

(ところで、9/24 付けの The New Republic に掲載されているジョー・バイデン上院議員/副大統領候補と「女性に対する暴力法 VAWA = Violence Against Women Act」に関する記事は必読。バイデン議員が「女性に対する暴力は、被害を受けた当人に深い傷を残すだけでなく、ある時間以降特定の場所に出入りしないとか、犯罪者に狙われかねない服装を避けなければならないなど、その他の多数の女性の行動の自由も奪う、したがってこれは平等権の問題である」という信念を VAWA に盛り込み、その条項を必死で守り抜こうとしたことが書かれている。バイデンの平等権理解は、明らかにフェミニズム法哲学の影響を受けている。)

 これに対して、id:rna さんがブクマコメントをくださっている。

2008年10月02日 rna 法律, 倫理 「女性に対する暴力は…その他の多数の女性の行動の自由も奪う」電車の痴漢とか被害者が入れ替え可能(特定個人である必然性がない)な場合以外でも女性一般への被害の責任を加害者に帰するべきなのかどうか。

 rna さんが挙げている点については、犯罪行為が特定の被害者ではなく「社会一般」に対して与える影響が刑罰に反映されるのはよくあることで、性暴力や痴漢だけ「直接の被害者に対する被害」についてしか責任を問えない理由はないと思う。
 それはいいんだけど、どうしてそういう疑問が出てくるのかと考えてみると、「もし平等権の問題だとしたら、どうなるのか」を説明していなかった。というわけで、そのあたり解説してみたい。
 バイデン議員が VAWA を執筆するにあたり「女性に対する暴力」を単なる犯罪としてではなく、平等権に対する侵害と規定しようとした理由を一言で言うと、そうすることで連邦政府の権限が及ぶ対象になるから。米国の法制度において、私人間の暴力や不法行為は基本的に州政府の管轄で、連邦政府はそれが複数の州を舞台にした時など限られた場合にしか介入できない。
 ところが地方によっては、警察官や判事までもが保守的な価値観の持ち主であったりして、性暴力やドメスティックバイオレンスの被害を訴えても、まったく取り合ってもらえないか、やたらと偏見に満ちた扱いをされることがある。だからバイデンは、暴力の被害を受けた人が、州の裁判所ではなく連邦裁判所で民事裁判に訴えられるようにしようとした。
 前述のとおり、連邦政府には単なる暴力行為について介入する権限がないので、連邦裁判所はそうした訴えを受け付けられない。しかし単なる不法行為ではなく「職場や学校において差別を受けない権利」をめぐる裁判であれば、公民権擁護は連邦政府の権限に入るので(かつて南部諸州において実施されていた人種隔離政策を撤回させたのもこの権限による)、連邦裁判所の管轄になる。そこでバイデンは、VAWA において「女性に対する暴力は、公民権侵害である」と規定することにより、州裁判所で被害の訴えをまともに取り合ってもらえない被害者が連邦裁判所で訴えを起こすことができるようにしようとした。
 米国の歴史は、もともと憲法において権限を最小限に限定された連邦政府が、大統領の独断や最高裁判例により州から権限を奪いつづけてきた歴史だ。その鍵となったのが「州際通商」条項で、本来は州境をまたがる物や人の行き来を連邦政府が法によって規制できる、という趣旨だったけれど、それが拡大解釈され、どこかで少しでも複数の州に関係しそうなら連邦政府の権限が及ぶ、という風になった。たとえば「白人専用」を掲げるレストランを規制するため、そのレストランで提供される食材の生産や内装に至るまで、どこかで州境をまたげば連邦政府の権限が及ぶという解釈がされた。
 こうした「州際通商」の拡大解釈の延長上に VAWA の「平等権」条項はあるのだけれど、VAWA が成立した 1994 年頃を境にして急激に「州際通商」の解釈を縮小しようとする政治的な動きが強まった。1994 年の中間選挙で「連邦政府の権限縮小」を掲げるニュート・ギングリッチ下院議長を中心とした共和党がはじめて上下両院を支配し、また全国で連邦政府の権限に挑戦する裁判が提起された。標的となったのは、環境保護や障害者の権利にまつわる法律、そしてこの VAWA だった。(そしてそれと同じ流れがエネルギー業界や金融業界における連邦政府による規制を次々と撤廃し、今日の危機を生み出した、というのはまた別の話。)
 こうした風潮のなか、最終的に、VAWA のうち暴力被害者が連邦裁判所に訴える権利を認めた項目はレーンクィスト裁判長以下 5-4 の評決で違憲の判決が下った。その後も VAWA は存続しているが、残っているのは被害者支援や取り締まり強化に対する助成金などの条項だけ。バイデンが実現に力を尽くした、もっともラディカルな要素−−女性に対する暴力は、女性一般に対する平等権の侵害であるという論理−−は、もう存在しない。
 バイデンという政治家は、あんまり物事を考えないで口を開く困った癖がある人で、よく人種差別的・性差別的ととらえられるような失言を繰り返している。明日予定されている副大統領候補同士の討論会では、ペイリン知事という明らかに格下の相手との討論であり何もしなくても楽勝できるはずなのに、バイデンの周辺の人たちは「議員が何を言い出すか」心配でならないと言うくらい。そういうわけで、たまに偏見丸出しの失言をして呆れさせてくれるのだけれど、少なくとも「女性に対する暴力」についてのバイデンの理解は、他のほとんどの男性政治家より(もちろんレイプの証拠を確保するための検査の代金を被害者に請求したペイリンよりも)はるかに先を進んでいることは間違いない。