アンチをつきつめた結果ジェンダーフリーに転換した論理

先日書いた「ジェンダーフリーとアファーマティブアクションの逆説」に関連して、むにゅう!さんのはてなダイアリーでちょっとおもしろいことになってます。もともとわたしの議論は、

macska:
わたし自身、クォータ制には賛成ではありません。ただし、仮に「反ジェンダーフリー」の価値観を前提とするならば、政治など限られた部分においてはクォータ制が必要とされるであろうと言っているのです。それは、女性候補を救済するためでなく、一般の女性有権者が自分たちを代弁する人物を議会に持つためです。

というものでした。もし男性と女性がそんなに違うのであれば、生活実感や問題意識も違うに決まっているわけで、男性が大多数を占める議会に女性の意識は反映されないことになります。だから、ジェンダーフリーに反対ならばクォータ制に反対するのはおかしいですよと言ったんですが、

むにゅう!さん:
一見、男性議員が多いように見えても、男性議員の妻がもう1人の議員として活動しています。女性特有の問題は議員の奥さんを通じて議会に伝わっています。

男性議員の妻がもう1人の議員として活動しているということは、活動している議員は常に男女同数ということです。なーんだ、クォータ制と同じじゃん♪ でもどうせ男女同数なら、男性議員にセットでついてくる、資質があるかないかも有権者には判断できないような人に期待するよりは、自分たちで女性議員も選んだ方がいいですよね。
 さらに、

優秀なら、他方の性の生活実感や問題意識も理解できると思いますよ。

なるほど、性差はあるけれど、もっと重要なのは個人差だから、男だから女だからと言わずに個人を尊重しようというのですね。じゃあ、あなたはジェンダーフリー派です。おめでとう。
 …というわけで、ジェンダーフリークォータ制の両方に反対だったはずのむにゅう!さんは、いつの間にかどちらも支持するというか、実質的にそれと同じコトを主張するハメになっていたのです。ホントにおめでとう!