実は5年も前からジェンフリ教育論を批判していたわたし

 これまであんまりわたしの個人的な考えを書いてこなかったので一応書いておくと、わたしはあんまり「男女混合名簿」を推進する運動に好意を感じていないのね。混合名簿はもちろん OK だけど、それを推進する論理が気に入らないというか。
 わたしがイヤなのは、混合名簿みたいな施策が「教育論として」推進されていること。大人が自分たちの問題としてしっかり考えた結果、男女で名簿を分けるなんて一般社会ではやってないしおかしいよね、という結論に達したならいいんだけれど、「子どもたちが性差別的な考えを学ばないように」みたいな感じで「子どもたちに与える影響」を混合名簿採用の理由に掲げるような主張は、男女別名簿にしなければ悪い意味で「子どもたちに与える影響」があるとする林道義さんみたいな連中をあんまり笑えないと思う。
 そういう風に思うようになったのは最近のことじゃなくて、ちょっと前に昔のメールを整理していたら、2001年にあるメーリングリストにポストしたのに以下のような文面がありました。

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 どう表面だけ取りつくってもジェンダーバイアスに染まらない事が個人には不利になるだけの状況が社会にはあるし、社会に溢れているモノを無理に隠蔽しようとすると、子どもに見透かされて余計にジェンダーの「差異」に注目を集めてしまうというのは当然かも知れません。子どもを比較的ジェンダーバイアスから自由な存在と仮定した、「子どもがジェンダーに毒されないように、ジェンダーに依拠しない環境で育てよう」的な教育が必ず挫折するのは、そういう事だと思います。
 先生の側からジェンダーフリーを推進するなら、子どもをまっさらな状態などとは思わずに、既に見透かされているような社会の現実を正面から認めた上で、徹底的に「世の中に逆らってソンしているヘンな大人」になり切るしかないんじゃないでしょうか。
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 また別の投稿。

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 わざわざ(名簿を)区別をする必要はないというのはその通りなんですけど、ジェンダーフリーの運動によって名簿や呼び方の区別が無くなったとしても、それでどれだけ子どもの意識に差が出るかとなると、相当疑問に思えます。フェミニズムにおける「ミスコンテスト反対運動」みたいな、シンボリックな意味しかないような気もするんですけど。
 あ、だから区別したままで構わないって言っているんじゃないですよ。子どもの意識を変える(あるいは子どもの意識が毒されるのを防ぐ)ために区別をやめようって言うんじゃなくて、ただ単に大人である自分たちの意識として区別はおかしいと思うからやめようと言うならそれでいいんです。
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 前も言いましたが、もし今の世の中に育ったのにジェンダーバイアスを学習していない子どもがいたとしたら、そっちの方が異常かつ危険です。なぜなら、そんな子どもが一般的な環境で育ってくるわけがなく、あるとすれば「保護者が、子どもを徹底的に世間から隔離して、学習する能力もしくは機会を奪っている」場合しか考えられないからです。小さいうちからジェンダーフリーの考え方に接する機会を作っておくという事なら私も賛成なのですが、ジェンダーフリーだけで子どもの環境を覆いつくそうとするのは無茶ですし、後々問題がありそうだと思います。
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 これらは2001年の7月から8月にかけてわたしが書いたこと。「フェミナチを監視する掲示板」ができるよりも1年前から混合名簿推進運動を批判していたことになります。だからといってあっち側にリスペクトされてもまた困るけど(笑)
 ちなみに、上記の記事での「バイアス」という言葉の用法には問題がある(詳しくは山口さんの書かれた「『バイアス』って?」を参照)ので、その点には注意。