「人種同一性障害」が認められない理由、Redux

 フェミナチ監視板において神名龍子さんがわたしの「『人種同一性障害』とわたしの身勝手な論理」について書いたコメントについてのコメント。向こうに書き込んでもいいんだけど、「監視される側」にされてしまった人が向こうに出て行くと場違いかなぁというのと、わたしは「フェミナチ」という言葉を軽々しく使うことは実際のナチの被害者に対してとても失礼なことだと思っていてそういう場に参加したくないので。
 「人種同一性障害」についての神名さんの議論は、だいたいその通りだと思う。というか、実際それとほとんど同じ論理を考えたのだけれど、最後の最後で

 性愛には男女の非対称性があって、このことが男女の「生き方の違い」を作り出す。
 (略)
 細かく述べれば他にも理由はあるでしょうが、最もわかりやすいのは、この性愛における「男女の非対称性」を否定する動機を、マジョリティもマイノリティも持たない、ということです。

 ということが、現実の社会においてその通りであるということを認めつつ、性というものがそうでなければならない必然的な理由はないのではないか、つまり結局「人種と性別は違う、なぜなら現実の社会が違うと認識しているからだ」と言っているだけになってしまうと思ったのね。
 こうした議論に対して、神名さんは「必然的な理由はない」という部分が「明らかに間違いで、この人は単に違いの理由を認めたくないだけなんです」と言っている。しかしわたしから見ると、神名さんこそ無根拠に特定の性愛のあり方を根源化しているだけにしか見えない。
 神名さんが言うところの性愛の「エロスゲーム」とは、男女の非対称性を必ず前提としなければならないのか。非対称性のない性愛や、性別以外の面で非対称性のある性愛だって可能だし、男女の非対称性がある方がことさら優れているという理由は思いつかない。「現在の社会において」多くの人たちが男女の非対称性を前提と考えていて、だから「現在の社会において」性同一性障害は「人種同一性障害」的なものとは違った特権的な扱いを受けるのだという議論はできても、それ以上の「必然的・根源的な理由」はないのではないか、と考えたわけ。

Masckaという人が、「性別」と「人種」について、

>現実の社会においてそれらは違った扱いを受けているけれど、そうした扱いを受けるような必然的・根源的な理由はやっぱり何もないわけで

と述べているのは明らかに間違いで、この人は単に扱いの違いの理由を認めたくないだけなんです(笑)。フェミニズムのドグマに従う限り認めることができない。

「明らかな間違い」と言っているけれども、どうして間違いなのか全然説明されていない。もし「必然的・根源的な理由」があるとしたら、それはあるという側が「このような理由である」と提示する必要があるはずでしょ。ところが神名さんの言うことは、現実の社会において人々がこう考えているというだけ。現実の社会において人々がそう考えていることは事実だし、それをあんまりないがしろにしてはいけないというのも分かるけど、それはつまり「どうして性と人種では扱いが違うのか、それは多くの人が違った扱いをしているからだ」というだけのトートロジーになってしまうのね。つまり、事実性があるのみで、やっぱり必然的・根源的な理由はないじゃないの。
 わたしは何も最初から「そんなものはない」とドグマ的に決めつけたわけではなくて、いろいろ考えてみた結果「必然的・根源的」と言えるような理由は思いつかなかっただけ。わたしからみると、根拠も挙げず現実社会におけるある特定の現象が「必然的・根源的」であると決めつける方がよほどドグマティックだと思うんだけどね。