信仰と現実の区別が付かないヒト

 1ヶ月前の話なのだけれど、単純な事実誤認の問題だと思っていたのに何故か延々と議論が空転するのでここでまとめる。
 南日本新聞八木秀次さんに取材したとき、「記事にする前にコメント利用が適切かどうか確認する約束になっていた」(八木氏主張)にも関わらず、確認せずに記事を書いてしまった(八木氏主張)という「正論」記事に関連して、川崎市の教育を考えているらしい Bruckner05 さんが、わたしが以前公開したミルトン・ダイアモンド氏のメールを引用しつつ朝日新聞東京新聞両紙の記者が南日本新聞と「同様のルール違反」をおかしている、と書いていた。Bruckner05 さんはこう言う。

 ここでもう一つ、特筆しておきたいのが、豊島記者がコメント確認をとらなかったことです。
 このアンモラルな態度は、豊島記者だけではなく、フェミ記者に共通するものなのでしょうか。
 というのは、同様のルール違反を、朝日新聞の高橋真理子記者や東京新聞の田原拓治(=牧)記者もやっているからです。
 朝日・高橋記者は昨年6月21日の記事で、「双子の症例」の嘘を暴いたハワイ大学のミルトン・ダイアモンド教授のコメントを載せています。
 ところが、macska女史によって暴露された世界日報山本彰記者宛のダイアモンド教授のメール、これは8月10日付ですが、このメールで同教授は「朝日新聞で自分のコメントがどんな風に使われたか自分は知らない」という意味のことを書いているのです。
 東京新聞がダイアモンド教授のコメントを載せたのが7月25日の記事。
 教授は、朝日だけでなく東京新聞も同様だと書いています。
 高橋記者も田原記者も、電話で取材をしてさんざん話を聞いた後で、その中から適当にコメントをピックアップして記事を作ったわけですが、その際、そのコメントが間違いなく教授の言葉通りかどうか、教授の意図するニュアンスが出ているかどうかを、事前確認していませんでした。
 新聞業界って、こんなにいい加減なんでしょうか。
 そのコメントを評価するにせよ批判するにせよ、語り手の意図をきちんと反映したコメントになっていなければなりません。
 それは、活字になったものから引用するのとは違って、決して簡単なことではありません。
 だから、事前にすりあわせをする。
 それは記者のモラルとして、余りにも当たり前のことのように私には思えます。
 新聞媒体の影響力の大きさを考えれば、慎重の上にも慎重に、ということになるでしょう。
 事前確認すらやらない高橋記者、田原記者、豊島記者。
 全く困った人たちです。

 ところが、この批判には事実誤認がある。八木秀次氏の言うことを信じるならば(仮定なので注意)南日本新聞の記者はインタビューの内容を記事にする前に確認する約束をしていたにも関わらず、それをしなかった。でも、ダイアモンド氏の場合は、内容が的確にかれの考えを反映しているかどうか、かれの元教え子でもある日本人が全面委任を受けて確認しているのね。つまり、この件については朝日・東京の両紙には全く落ち度がない。
 …と教えたら、それだけでカタが付く問題だと思ったのよ。だってフツーそうでしょ。しかし、フツーではない相手だというコトを忘れていた。最近大麻吸い過ぎで短期記憶が低下してるかも。
 Bruckner05 さんの返答は、「事実誤認にあらず」! その根拠はというと、ダイアモンド氏のメールに「それらの新聞に載ったコメントをわたしは確認していない」と書いてあることらしい。あのーいいですか? それってわたしが付けた訳じゃん! 原文では「I have not seen their comments」だから、より正確には「見ていない」と言ってるわけですよ。そりゃ、ダイアモンドさんは日本語読めないから、「見ていない」に決まっています。とゆーか、見てどうするっての。
 そのあたり、事実を3度くらい説明したところ、やっと Bruckner05 さんはそれを理解できたようなのだけれど、それでもまだ自分の朝日新聞東京新聞批判を取り下げたくないのか、苦し紛れにおかしな方向に議論を逸らす。すなわち、


 1)当事者ではない元教え子に確認させるなんておかしい。その場にいなかったのに実際の発言の通りかどうかどうして分かるんだ。
 2)何でわざわざ取材対象であるダイアモンド氏側がコストを払って確認しなければいけないのか。取材側が翻訳して確認してもらうべきだ。
 3)活字になったら、速やかに英訳を添えて記事をダイアモンド氏に送るべきなのに、両紙はそうしていない。おかしい。


 とにかく朝日・東京は悪いと決めつけたいという執念が感じられるけれど、話にならない。
 ダイアモンド氏が朝日・東京両紙へのコメントに関して元弟子を介在させた理由は、その前に出た世界日報によるインタビュー記事との関連で考えれば理解できる。わたしが本家ブログで紹介した通り世界日報によるインタビューにおいてダイアモンド氏は上野千鶴子氏や日本における「ジェンダー」論受容について間違った情報を信じ込まされ、本来ならそれらを支持する立場であるのに逆にそれらに対するバッシングに加担させられた。インタビュー記事が仮に自分の発言を一字一句忠実に再現していたとしても、それだけでは自分の考え方が正しく伝わるわけではないことにかれは気付いたと思う。発言内容を一字一句正しく再現することよりも、かれの思想や思考をできるだけ歪めずに記事に反映させることの方が遥かに重要だ。そう考えると、日本語を話し日本の文化的・社会的文脈を理解し、またかれの思想を正しく理解しているとかれが信頼する元教え子の日本人研究者にかれが記事内容の確認を委託したことは、ごく自然なことだ。
 というわけで、上の批判1・2については、ダイアモンド氏本人がそう希望したんだから他人が文句付けるようなことではない。2については、そりゃダイアモンド本人が確認するのであれば取材側が英語で確認したに決まってるじゃん。馬鹿じゃない?
 3については、そもそもそんな慣行はない。というか、Bruckner05 さんがジャーナリズムの「常識」と決めつけている、「記事にする前にコメント利用が適切かどうか確認する」という作業だって、それを約束した場合にそういう責任が生じるのであって、原則としてそういう慣行は存在しないはず。わたし自身、ワシントンポストをはじめとするいわゆる「一流紙」からローカルの雑誌までいろいろインタビューを受けたけれど、内容を確認してきたところなんてほとんどない。掲載紙贈呈も、そう頼んでおかなければ原則としてないし、頼んでも忘れ去られることだって多いくらい。海外のメディアから掲載紙を送ってもらったこともあるけれど、英訳が付いてきたことなんてこれまで一度もなかった。
 だいたい、Bruckner05 さんという人は便利な言葉の使い方をする人で、「常識」とか「記者のモラル」という言葉を多用しつつ、「新聞業界でそんなやり方が一般的なのだとしたら(そうではないと信じたいが)、随分といい加減な業界だ」と書いていて、要するに本当にそれがジャーナリズムの世界で「常識」「モラル」とされているのかどうか、事実として知っているわけではない。というか、信仰と現実の区別が付いていない。それがよく現れているのが、この部分。

 ダイアモンド氏は8月10日のメールで「それらの新聞(=朝日、東京)に載ったコメントをわたしは確認していないけれども、かれら(=朝日、東京の記者)に対して言ったことはあなた(=世界日報の山本記者)に対して言ったことと全く同じだよ」と書いていますね。
 この意味は、
 「実際の記事でどのコメントがどんな風に使われたか、私はまだ把握していない。しかし、両記者には山本記者に話したのと同じことを話している。だから、両新聞が私の真意をきちんと活字にしてくれていれば、日本の読者が混乱がすることはない」
 ということ。普通の読解力ではこういう受け取り方になるはずです。

 これ見て爆笑してしまったのだけれど、この Bruckner05 という人はどういうわけだかこのメールのそもそもの文脈を全く分かっていない。じゃなくて、信仰に都合が悪いから見て見ぬ振りしてるのかな。
 そもそもこの会話がどういう文脈で起きているのか。2月に世界日報がダイアモンド氏のインタビューを掲載したけれども、上記のようにこの内容はかれの考えを大きく捩じ曲げて伝える内容だった。その後ダイアモンド氏は朝日新聞東京新聞の取材に答えて本来の見解を伝えており、それらの記事がかれの真意を正しく反映していることはかれの元教え子が確認している。それを見た世界日報山本彰氏は、「これじゃ自分のインタビュー記事がコケにされる」と思ったのか、ダイアモンド氏に「せんせー、日本の読者が混乱してます」と泣きついてきた。それに対してダイアモンド氏が言った答えが、上記の引用なのね。
 要するに、自分の立場は一貫しており、読者が混乱しているとしたら全てお前が変な記事載せたからだよということを、ダイアモンド氏は遠回しに言っているわけ。それ以外に論理的な解釈は全くあり得ない。 Bruckner05 さんは「普通の読解力ではこういう受け取り方になるはず」と言っているけれど、そういう「受け取り方」は「世界日報の記事は正しく真意を反映している」という前提を必要としており(世界日報の記事が真意を反映していないなら、朝日・東京が正確に反映していたとしても読者は混乱する)、ダイアモンド氏本人が「世界日報は真意を反映していない」と言明している以上、よほどおかしな信仰の持ち主でなければそのような前提を当たり前のこととして議論の前提にできないはず。なのに、それを「普通の読解力」だと言いきってしまえる Bruckner05 さんには、川崎市の教育を考える前に、もう一度義務教育から受け直してきて欲しいところ。
 とゆーか、こんな無茶苦茶書くヒトが、記者のモラルを語ったり「全く困った人たちです」と嘆いたりしないで欲しいんだけどなー。