批判と順序
いままで気付かなかったのだけれど、先日「非常にメイワクな言いがかり」で取り上げた「独り言 くたばれ女権主義(フェミニズム)」ブログの中の人が、わたしのコメントに回答していた。
小山女史はDV法は男女共に適用される
べきという主張だったのか!
知らなかった!
はい、無知と予断で人のことを「あの人物はなんなんだ」と中傷したわけですね。それに気付いたら、普通ならまず「予断で間違った批判をしてしまいました、すみませんでした」と言うところです。ところがこの人は、一切自分の発言を撤回しようという様子はありません。
事実上男のみに適用される日本のDV運動を批判してるのか?
口だけならなんとでもいえる
わたしは日本のDV運動について詳しくないし関与もしていないので直接の批判はしていませんが(目についた特定のフェミ論者のDV論への批判ならたくさん行なっています)、米国でなら「男性が加害者で、女性が被害者」という前提に基づく運動論を徹底的に批判しています。出版論文もあります。
でもそれをこっちから示していくというのは順序が違う。おそらくこの人は、わたしがDVについて何か発言していることを知り、「DVに関わるフェミニストというのはこういう主張だろう」と勝手に決めつけたのだろうけれども、他人の主張を決めつけておきながら「違うなら違う証拠を見せろ」と要求するのは筋違い。わたしの実名を出して批判するならわたしがDVに関してどういう主張をしている論者なのか少しくらい調べてからモノは言いなさい。
ま、このことからしても、この人は実際には男性DV被害者のことなんて全く気にかけていなくて、ただ単にフェミニスト叩きをしたいだけなんでしょう。だって、もし本当に男性DV被害者のことを考えているなら、「男性が加害者で女性が被害者という決めつけはいけない」と日頃から主張しているわたしをわざわざ選んで実名批判する理由がどこにもないもの。むしろ、わたしを引用してDV行政の在り方を批判するみたいなことがあっても良さそうなくらい。
もしこの人がここを読んでいるのであれば、わたしのブログ(本家)から以下の記事をお勧めします。おそらく、あなたの妄想の中の「フェミニズム」像とは全く違った主張を知る事になるでしょう。
http://macska.org/article/163
http://macska.org/article/161
http://macska.org/article/118
「言葉の暴力」をどう扱うべきかとか、親権をめぐる虚偽の通報という問題にどう取り組むかとか、そういう少しややこしい話について議論してもいいんですが(この人が無知なだけで、反DVの運動や研究の中ではちゃんと議論されています)、この人は議論はしないと言っているのでまた別の機会にします。とりあえずこの人が予断であれこれ言っていることは全部デタラメに過ぎないとだけ言っておきますが。
しかし、知識がないのは仕方がないとはいえ、学ぶ能力がないヒトはこれだから困りますね。わたしはDVに関しては一応専門的な知識があるので、前者であればこちらからいろいろな資料や情報を示していけばいいけど、後者はどんな情報を与えても自分の予断に固執して同じことを繰り返すだけだもの。