昆布の売春論にツッコミいれとこう

 牧波昆布郎さん(以下昆布)のエントリにコメント。


 昆布の主張が成り立つには、

では、売春はなぜ悪いのでしょうか。
まずひとつは「自分に対する自分自身の価値を下げてしまう」からです。
したくないセックスをしなければ愛されない・優しくされない・価値がないと思ってしまうのは、人間としてかなりひねくれています。
もうひとつは、「自らの身体にリスクを負わせてしまう」からです。
売春に限ったことではありませんが。不特定多数の人との性行為は、予期しない妊娠や性感染症感染を招く恐れがあります。

 ということをきちんと示す必要がありそう。
 第一点は、売春をすると「自分はしたくないセックスをしなければ愛されない、優しくされない、価値がないと思ってしまう」のかどうか。昆布がそう思っているだけという可能性はない? 普通、例えばコンビニのバイトをしている人がいたとして、「自分はしたくないコンビニのバイトをしなければ愛されない、優しくされない、価値がない」なんて思わないだろうし、仮に思ったとしたらそれは職業が悪いんじゃなくてその人自身に何か問題があるのでは。
 第二点は自明なように思うかもしれないけれど、自らの身体にリスクを負う仕事なんて世の中にはいくらでもあるのね。原子力発電所で働いて放射線被爆するというのは極端な例だけど、仕事で車を運転すれば事故にあう危険があるし、重い物を持ち上げれば腰をやられるかもしれない。それら全てが悪だという考え方は可能だけれど、そんなことを言うと世の中成り立たないよ。ていうか、それってホワイトカラーの立場から「その他大勢」の仕事を悪だと決めつけることにしかならない。悪だとかなんとか言うより先に、具体的な危険を少しでも抑えるための努力をするべきじゃん。

私も売春という行為自体は尊敬されるものではないと思います。
でも、この考えがそのまま「売春をした人を侮辱する」ことにはならないと思います。

 売春は悪だと思うけれども「売春をした人」は擁護する、という昆布のスタンスは立派。でも、売春を悪だとする論理が、売春をした人は「したくないセックスをしなければ愛されない・優しくされない・価値がないと思ってしまう」「人間としてかなりひねくれて」しまう、というものであれば、いくら売春者を侮辱する意図がなくても侮辱したと受け取られて当然。これならむしろ、「売春はモラルに反するから絶対的に悪なのだ、でも罪を憎んで人を憎まず」と言われた方がマシ。

私が性の多様性を尊重したいと思うのは、
ある人の性のかたちが尊重されることで、その人の心が傷ついたりすることを防ぐことができるからです。
尊重することで、その人が幸せになれると信じているからです。



私が売春を「性の多様性」のひとつとして尊重したくないのは、
売春という行為自体が、売春をしたその本人自身を傷つけてしまうからです。

 わたしは基本的に売買春問題を「性の多様性」の問題としては考えていない(主に経済的な問題として考えている)けれども、あえてこの議論に乗ると、昆布の考える「性の多様性」は嗜好及び行為レベルによるものでしかなく範囲が狭いのでは。「性の多様性」とは、単にさまざまな嗜好を持つ人や(合意ある)性行為を行なう人を尊重するということではない。その人にとって「性」がどういう意味を持つか、という位置づけまで含む概念だと思う。
 昆布にとっては、売春とは「したくないセックスをしなければ愛されない、優しくされない、価値がない」ということと結びついた行為なのだと思う。そのように感じる人は、傷つくだけだからせずに済むなら売春はしない方がいい。でも、自分がそうだから他人もそう感じるはずだと決めつけるのはどうか。
 ここでは売春について議論しているけれども、お金を受け取っていなくても「したくないセックスをしなければ愛されない、優しくされない、価値がない」と感じている人だって世の中にはいる。しかしだからといってセックスそのものが悪だとは誰も主張しない。それは、性の在り方なんて人それぞれで、ある人にとってセックスが自尊心を傷つける行為だとしても、他の人にとってはそうではないということが了解されているから。
 人が売春という行為に与える意味だって人それぞれ。また売春の在り方そのものが地域や階層によっても違うし、そもそもどうして売春をしたのかという社会的・経済的な状況によっても個人の経験やその受け止め方はまた違う。セックスの在り方が多様であるのと同じく、売春の在り方だって多様なわけで、そのうち一部に自尊心を傷つけるタイプの売春(あるいは売春者)があったとしても売春全体を「悪」だと決めつける理由にはならない。
 というわけで、「自尊心を傷つける売春は悪、でも仮に自尊心を傷つけないのであれば話は別」くらいに軌道修正してくれないかなぁ。