偏向したフェミニストにされてしまった件

 いまさら気付いたのだけれど、空さんと言っていいのか kentanakachan さんと呼ぶべきなのか分からないけれども、本家ブログで夢さんという人と慰安婦問題の解決方法について行なった議論に対して、何やらコメントを書いている人を発見。

 以前紹介した慰安婦問題に関するコメント欄での討論がいつのまにか終了していた。どうもある種のフェミニストは単なる反日運動家ではないか?という疑問をいだかせる、内容である。被害女性が誰の犠牲者によるかで、救済するかしないかに別れるらしい。
http://blog.goo.ne.jp/kentanakachan/e/bd47407039c99b9fcec6a426890a136c

 なんとまあ、よくこう一方的に夢さんの書いた曲解をそのまま信じ込めるものだ。「被害女性が誰の犠牲者によるかで、救済するかしないかに別れる」などとわたしが一度も書いていないにも関わらず、夢さんが勝手に決めつけた内容が、いつの間にか事実わたしの主張であったことになっている。おそろしい話だ。

 で、慰安婦問題に話しを戻すと、要するに、慰安婦も問題は各国で行き詰まりがある。アメリカ韓国日本ドイツオランダそれぞれ加害者としての慰安婦問題を抱えている。日本は謝罪と補償を提供したが、批判もある。そんななか、欧米は日本に対してさらなる謝罪をするように求めた。
 日本としては、自国はすでに謝罪したのだから、さらなる謝罪を求めるとすれば、お前らも謝罪するのが筋だろう、と言いたい。

 わたしはここで空さんが「日本は謝罪を補償を提供した」と書いているのは間違いだと思うけれども、欧米の議会が日本を批判するような決議を打ち出した点については同じ考え。エントリ本文にもはっきりそう書いてあるのだけれど、夢さんはなぜかそれを理解できずに、わたしが欧米の動きと同調していると勝手に思い込んでいた様子。まったくの間違いなんだけどね。

で、このような行き詰まり状態を前提に、上記討論で出されている提案が、

戦時性性的奴隷問題に関して、日本は改めて、欧米韓国などは初めて共通の基準に従って謝罪補償をすべきだ

というものだ。
で、これにみんなに協力を呼びかけ、また協力していこうではないか、というものである。
しかし、当該フェミニストはそれはできない、という。
なんとなれば、彼女の加害国側にたつ「ポジショナリティ」の故に。
つまり、何万といるかもしれない権利を剥奪された被害者女性を救済する必要は認めるもの、自分のポジショナリティ故にそれはできない、というのである。
冷酷で偏向した立場だとは思いませんか?

 それはできない、ではない。それは有効な呼びかけではない、と言っている。なぜ有効ではないかというと、日本人として自国の責任すらきちんと追求できていないのに、いきなり他国の人々に連帯を呼びかけても、他国の人々から見ればわたしたちに「連帯するだけの価値がない」から。「日本人として自国の責任すらきちんと追求できていないのに」という部分を通り抜けて、まるでわたしたちがどの国の人間でもない、歴史を持たず社会にも属さない人であるかのように「普遍的な視点」を持てるとする夢さんの「呼びかけ」はおかしい、というのがわたしの主張。
 ここでわたしは、日本軍「慰安婦」以外の被害者の救済は一切否定しておらず、個別の行為について個別の責任を個別の位置関係から問うべきだと繰り返し主張している。国際的に共通の基準というのは、最初からこうだと決めて各国に当てはめて行くようなものではなく、そうした個別の責任追及の中から生み出されてくるものだとわたしは考えている。
 つまりわたしは、全ての被害者を救済するより良い方法はこうである、という主張をしているのであって、日本軍「慰安婦」以外の被害者は救済しないとは一言も言っていない。「いやそれは良い方法とは言えない、夢さんの呼びかけの方がより優れている」という意見はあるかもしれないけれども、「冷酷で偏向した立場だ」と感じたとしたらそれは空さんが夢さんの解釈に引きずられてわたしの主張を理解できていないだけ。
 で、ポジショナリティーという言葉についてだけど、

ちょっと、哲学百科を調べてみると、
(中略)
 要するに、不易で、自存的非歴史的非社会的な女性性なるものがないことを前提に、女性を平等な権利や機動性を剥奪された立ち位置にいるものとして、かつまた、こうした不正を是正し、女性を再定義していく出発点としての立ち位置、というくらいな意味で使っているフェミニストがいるようだ。
 とすれば、むしろ女性の連帯を呼びかけるものであり、この論者は他のフェミニストとは異なる意味で使っているのだろう。

 空さんの見つけてきた解説は「フェミニズムにおける、ポジショナリティとしての『女性』」を説明しているものであり、わたしはより一般的な(すなわち、フェミニズムより広い文脈における)意味でポジショナリティという言葉を使っているので全く同じ意味ではないけれども、中心的な部分は大体同じ。空さんの、ポジショナリティという考え方が「連帯を呼びかけるもの」である、という部分は正しい。間違っているのは、わたしが連帯を否定しているというこの人の解釈。
 わたしは夢さんの呼びかける連帯を否定しているのではなく、夢さんの「呼びかけ」が連帯のために必要な最低限の基準を満たしていないとして、連帯に届かないものだから批判しているの。それも読み取れないとは、お粗末すぎるよ。
 空さんは、また別の記述を引用して、

 ここでも当該論者とは全く逆の意味で使われている。本件に即して言えば、加害国側の人間としての自覚を持ちつつも人種を越えて女性と連帯していく愛じゃないのか?

 と書いているけれども、引用されている内容はわたしの言っていたのと基本的に同じことが書かれている。ポジショナリティを消去した「女」という立場で連帯するなんてことは不可能だと書かれているのだから、わたしの言っていることと同じじゃん。なんで「逆の意味」だという解釈になるのか、まったく分からない。
 わたしを「偏向している」と批判するなら、せめてわたしが何を主張しているのかくらい理解したうえで批判して欲しいところ。わたしと同じ考えの文章を引用して「全く逆」とまで書かれては、何がどうなってるんだかわけが分からない。
 ていうか、これマジ聞きたいんだけど、そんなにわたしの書いていることって分かりにくいですか?