世の中フェミニストだらけ

 エントリ「ブクマコメントのつかいかた」に、id:nichijo_1 さんが「じぇんだーな日常」でコメントしてる。

偏向よりもフェミニストのほうが聞き流せなくて、「〜なフェミニスト」のほうが悪口だというのだろうか。「〜なフェミニスト」のほうが悪口だというのだろうか。確かにフェミニストだが、関心の一部だから特筆することもないというのだろうか。
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-94.html

 いや、「偏向」は明らかに単に議論能力のない人による悪口なので聞き流せばいいけど、この人に限らずわたしのことを「フェミニストの macska さん」みたいに呼ぶ人が多いのはどうしてかなぁと。これは何も「フェミニスト」に否定的な意味を含めている場合だけじゃない。友人であるチキさんですら、『ウェブ炎上』でわたしの名前を出す部分で「在米フェミニストの〜」と書いている。なんでかなーと。

フェミニストという言葉に否定的な意味もあるということだ。macskaさんは、それが気になっているのかもと、まず思った。

 否定的な意味というか印象があるのは事実だけど、それは気にならない。まぁフェミニストの主張だというだけで、あらかじめ先入観を持たれたり、議論を避けられてしまうのは残念だけど、そういう相手はどうせバカであり議論するまでもないので構う必要はない。
 わたしが「フェミニストの macska さん」的な言い方を気にするのは、それが事実ではないからでもイメージの問題があるからでもなく、わたしがどういう人物かを紹介するうえで「フェミニスト」というのはあまり重要な点ではないと思うから。
 というのも何度か書いた通り、わたしにとってフェミニズムとはわたし自身の政治的・思想的な出発点であって、現在位置ではないから。ここで現在位置ではないというのは、今はフェミニストではないという意味ではなく(辞書的な意味で言えば、いまもフェミニストであることには違いないーーけれど、辞書的な定義で言えばフェミニストを自称しない多くの人が実はフェミニストの定義に当てはまるだろう)、フェミニズムや「女性」「ジェンダー」は既に自分の関心の中心ではないという意味。喩えるなら、わたしにとって自分がフェミニストであるというのは出身校や血液型みたいなもので、自分のある一面を伝える事実ではあるけれども、ことさらその部分を強調して紹介される度に「フェミニストの〜」と言われるのは変だと思う。

ところで、はてなのキーワードにフェミウヨという項目ができている。一人の人が個人的に思って書いたのか知らないが、フェミウヨまで入れると、フェミニストだらけになる。フェミニストに、母性主義フェミニストも、フェミウヨも入るのなら、世の中、フェミニストだらけなのでは。

 「フェミウヨ」は概念的にいまひとつだと感じるけれども、「世の中フェミニストだらけ」なのは事実だと思う。フェミニストという呼称は人気がないけれども、過去150年くらいのスパンでフェミニズムが主張してきた考え方は確実に社会の大多数の支持を得ているし、フェミニズムに敵意を抱く人だって例えば150年前の「反フェミニスト」の意見を読めば「なんだこの偏屈な差別主義者は!」と思うだろう。それくらいフェミニズムの考え方は浸透している。
 「フェミウヨ」概念については、いつか時間ができたらもうちょっと書こうと思う。あのキーワード解説はいかにもステレオタイプ的な内容だけど、いろいろ言いたいことがあるので。

坂東眞理子は、フェミニストと言うよりも女性人権家と言った方が近いような気もする。macskaさんは、フェミニストよりも女性人権家と呼ばれたいですか。

 呼ばれたくないです。「女性人権家」よりは「フェミニスト」の方がまだマシ。ていうか、わたしの肩書きなんてただ単に「ブロガー」でいいんじゃないでしょうか。わたしの政治的立場を明記したい場合は、「リベラル系ブロガー」とか。わたしがやっていることなんて、ブログを書くことくらいだもの。

左翼フェミニストとか、過激フェミニストとかならば、そんなことを言うのはやめろと言うのは分かる。だが、フェミニストと言うのにさえも抵抗があるとは、フェミニストと呼ばれるのがそんなに嫌なのだろうか。

 だからですねー、たとえばわたしは日本人と言われるのは別に嫌でもなんでもないけど、会う人ごとに「ああ日本人」と言われたらそれはイヤになるでしょ。言われる中身が嫌なんじゃなくて、一面的にそこしか見られないことが嫌なの。

ちなみに、どこかで書いた気もするけど、macskaさんは左翼フェミニストとは思わないな。左翼とか右翼とかは混交していると言われている今の時代ではというのを差し置いても、macskaさんの言っていることは右よりだと取られかねないことさえあるから。

 このあたりは、Thomas Sowell『A Conflict of Visions: Ideological Origins of Political Struggles』あたりを参照しつつ別エントリで一度整理しようっと。