「働いたら負け」の話ーーブクマコメントにお応え
先のエントリ「 『働いたら負け』状態は社会の責任、かもしれない」へのブクマコメントにコメント。
2008年06月08日 fk_2000 インセンティブってのは与えられものじゃねぇ!奪うものだ!
インセンティヴってどうやったら奪えるんでしょうか。Stickk.com みたいなのを使って自分で設計するのも全く不可能ではないけど、それは「禁煙したい」とか「減量したい」という強烈な希望がそもそもあってのことで、希望を持てない人に「希望を持て」と言っても駄目でしょう。
2008年06月08日 umeten 社会, 日本的なるもの, 政治, 経済, 若年者問題, 格差問題, 差別問題, 身体と精神, 批評 弱者の内面の問題が自己責任の問題として為政者に利用され、自己責任なんだから政策や政治家は悪くない、というネオリベ的な弱者排除の発想につながっていく もう、とっくにそうなってるっての。
ですね、はい。某お兄様も同じ認識だと思います。
2008年06月08日 dot_hack 労働 費用対効果が予測できているのであれば必要なのは努力ではなくて労働なのですよ。余裕があったら後でちゃんと言及する。
うーん、この文脈でそれがどう違うんでしょうか。よく言われる「やる気がない」っていうのは、要するに「労働しない」ってことでしょ? とにかく、あとでの言及に期待。
2008年06月08日 inumash 社会 「努力が報われる」と同時に「失敗をリカバーできる」というセーフティネットの整備も重要で。
セーフティネットも必要ですが、どのようなセーフティネットであれば社会に生産的に関わることのインセンティヴとなるのかきちんと考えなくちゃね。大きな政府でも小さな政府でもなく、スマートな政府が必要。
2008年06月08日 fromdusktildawn 誰もが「報われる保証のない努力」をし続けなければならないのが、自由経済の本質なんだよね。努力すれば報われることを保証するには、市場メカニズムに基づく自由経済を廃止して、計画経済(社会主義)にすればいい。
「報われる保証をしろ」とは誰も言っていません。努力しても報われるチャンスに乏しいと多くの人が感じるような状況を放置してはいけないと言っているのです。ポイントとなるのは、実際に報われるかどうかではなく、そういう希望を持てるかどうかです(が、あんまり「努力しても報われない」という状況が続けば希望なんて抱きようがないので実態も重要)。これは市場メカニズムの否定ではなく、市場メカニズムをもっとうまく回してその恩恵を引き出すために何が必要かという話です。
2008年06月08日 okemos 「上野千鶴子さんに代表される学界エリートだけしか見えていないんじゃないかな。」赤木さんだけでなく、ほとんど全部の人にとってそうでしょう。
2008年06月08日 kurokawada 上野千鶴子さんの本を読んだことがあるというだけで、相当マシなレベルですよ。現状はそうです。
それは事実かもしれないけど、赤木さんはいまやさまざまな雑誌に執筆する社会批評家なんだから(本人のサイトに「社会論評やります」と書かれていました)、一般庶民レベルの印象論でバッシングをしてはいけない立場でしょう。フェミニズムについて知る義務はなくても、知識のないことについては書かない(少なくとも、バッシングしない)くらいの倫理は要求できるのでは。
2008年06月08日 yamazakura 赤木氏の言う「男は辛い」もmacska氏の「女性は辛い」も両方正解だと思うのだが。だから同じ歩調で解決することが必要ではないのかと。それを可能にする魔法の杖がジェンダーフリーだと思ってたんだが違うのだろうか。
わたしがいつ「女性は辛い」って言ったかな。わたしはかねてから赤木さんの言う「弱者男性」の問題も重要だと同意したうえで、かれによる「弱者男性」以外の弱者に対する敵対的な発言を批判してきました。
もう一つ、楠正憲さんがエントリを立ててコメントしてくださっている。
ところでそもそも個々人に対して最適なインセンティブ・メカニズムを提供することって、いつから政府の役割になったんだろう。政府がニートを悪者扱いしているのであれば「それお前のせい」くらいいえるだろうけど、その程度。そもそも世の中いつの時代だって社会にディスカレッジされる人々はいくらでもいたし、それは政策対象として議論されることはあっても、政府の義務というよりは、こういう人々に居場所を提供した方が、もっと世の中うまく回りますよ、程度のことではないか。
「働いたら負け」という甘えと、背景にある社会矛盾 - 雑種路線でいこう
ニートの問題を離れて一般論として言うならば、適切なインセンティヴ・メカニズムを整備することは、市場経済を維持しその恩恵を引き出すために必要なことでは。その最終的な責任は、やはり政府にあるのではないでしょうか。まあ、インセンティヴではなくアーキテクチャで管理するという手法もなあり、現実問題としてその両方を組み合わせることになるでしょうが。
確かに努力するインセンティヴを奪っておいて「やる気のなさ」を個人的な問題と決めつけるのは不当だが、努力できるのに努力せず報われない人々に対する福祉なんて財政難の折、真っ先に削られるだろうし、それに抗うことは理屈として難しい。
上の方で書いたように、わたしが主張するのは大きな政府でなくスマートな政府です。「努力できるのに努力せず報われない人々」に対してただ単に福祉を垂れ流すのは、ただでさえ稀少なインセンティヴをさらに低下させるので、そもそもスマートではありません。かといってただ福祉を削減するのも、「最低限の生活を保証する」という政府のもう一つの義務に反しますし、底辺の人々がただ野垂れ死ぬだけになりかねないので駄目。
どういう福祉制度であれば社会参加に動機づけられるのか、わたしが今すぐ答えられる問題ではないですが、さまざまな提案を試験導入して検証していけば良いと思います。ってイアン・エアーズ先生が言ってました。