修辞的疑問、つづき。

 前回のエントリではタコなのにタカ呼ばわりしてしまいました。ごめんなさい。

↑上に挙げた理由により、「あなたは不誠実だ」「いや、私は誠実だ」「俺だって誠実だ」「俺も誠実だ」「俺も」「俺も」「ぢゃあ、俺も」「どーぞどーぞ」といった遣り取りには意味がないと考えます。
http://d.hatena.ne.jp/takopons/20080806/1217964600

 それはその通りです。でもわたしは「あなたは不誠実な人間だ」と言ったのではなく、あなたの論法は(あなたが自覚しているかどうかは別として)これこれこういう理由で不誠実なので、もっと誠実な議論をお願いしますよ、と言ったつもりでした。
 ところがあなたは、それを「あなたは不誠実な人間だ」という意味にとらえ、逆に「macskaさんは、takoponsは不誠実で失礼な人間である、ということにしておきたいのでしょうか?」と言ってきました。それをわたしが修辞的疑問だと解釈し、こっちは誠実な議論をするようにお願いしているのに、わたしが相手の人格を貶しているみたいな言い方をして決めつけるとはますます不誠実だ、と思ったのです。
 とまあ、どちらに責任があるという話は別として、双方の誤解が積み重なるとどうでもいい話がこじれてしまうので、今回こうして「相手がどのように誤解していたか」を知ることができたのは良かったと思います。前回言ったとおり、以前のやり取りは一度リセットして臨みたいと思います。

ところで、修辞的疑問を修辞的疑問として使用するのは問題ないですよね? ←なぜ、このような確認をするかと言うと、macskaさんは、ある疑問文を修辞的疑問であると解釈されたら、その時点で「これは修辞的疑問だNGだ不誠実だ」との反応をなさるお方なのではなかろうか?とちょっと思ったからです。

 もちろん、修辞的疑問そのものが不誠実だというわけではありません。不誠実だと感じた理由は別に説明しています。

いいちこさんが使っているレトリックが修辞的疑問である」かどうか?は、いいちこさん本人に確認されたほうが良いと思います。いいちこさんは自覚なく修辞的疑問を使ったのかもしれないし、意図して使ったのかもしれませんので。

 まあ、今回のような例もあるので、いくら修辞的疑問に見えてもそうでない可能性もあるな、くらいには思うようになりました。

修辞的疑問には恣意的な断定が含まれている、と私も思います。しかし、修辞的疑問から敵意――質問者の心の中に本当に発生したのかどうか分からない敵意――を感じ取って、「修辞的疑問だ不誠実だ」と指摘していたら、議論は進まないですよ。それこそ、「当ブログでは修辞的疑問を禁ずる」と事前に宣言しておくことをオススメします。

 修辞的疑問に敵意があるのではなく、修辞的疑問を使うと一見丁寧な表現に恣意的な断定や敵意を潜り込ませることができるのです。
 takoponsさんは、「恣意的な断定が含まれていると自分も思うが、敵意があるとは限らない」と思っているのかもしれませんが、断定の含まれない修辞的疑問だってありますよ。たとえば、「お前は何度遅刻すれば気が済むんだ」という表現に「へぇ、あと三度ほど」と答える人がどこにもいないように、これは通常の疑問文ではなく修辞的疑問ですが、何の断定も含みません(遅刻の多い人を怒っているだけです)。
 このように、修辞的疑問には、表面的な内容(あなたは何回遅刻をすれば気が済むのですか?)と別に、それを通して伝えられる本来のメッセージ(何度も遅刻しやがって、許さん!)が含まれます。わたしは修辞的疑問そのものが悪いと言っているのではなく、修辞的疑問の形式によって伝えられた(ように見えた)メッセージに応対しているのです。