悪神論

 こんなのがあると初めて知った。

 maltheism というのは mal-(悪い)に theism(theos 神+ ism 主義、理論、原理) だから、「atheism = a- + theo + ism 無神論」に習って「悪神論」でいいだろう。多神教の宗教では神様にもいい奴と悪い奴がいて当たり前なので、一神教価値観においてはじめて意味を持つ観念のようだ。
 悪神論者は、神の存在を認める。そのうえで、人に崇拝されることと人の苦しみを好む神はサディスティックで自己中心的な権力主義者であり、人類の宿敵である、と考える。
 悪神論者によると、世界中のさまざまな宗教が伝えるメッセージは、全て同じ単一の悪の存在によるものだ。それぞれの宗教で内容が違い相容れないのは、人間をお互い抗争させて崇拝と苦痛の両方を生み出すための神の作戦だという。
 また、自らその存在を全ての人に明らかにしようとしないのも、気紛れでフェアな精神など持ち合わせていない神としては当たり前だという。基本的に、悪神論者が神を信じる理由は「神が実際に語りかけてきたから」というものなので、その経験を持たない人(無神論者)が神を信じないのは仕方がない。どんな理由でも、神を崇拝しない人が増えるのは良いことだ、と思っている様子。
 悪神論者たちは、わたしたち人間が神に対抗して信仰をやめ、崇拝するのを拒否すれば、神は力を失って死ぬだろう、と信じているという。もし神が単なる思い込みでなくて実際に世界を創造できるような存在であれば、仮に崇拝する人がいなくなっても神が死んだりはしないと思うのだけれど、どうなんだろう。人類つまらんからもうイラナイ、と全滅させられたらたまらないし。
 悪神論の反対を「善神論」としておくけど、善神論において「悪の存在」「天災」は神学的に困難な問題だった。神が善なる存在で、なおかつ全知全能であるなら、なぜ世の中に悪は存在するか? それは、悪のない世界とはそもそも悪を犯す余地が存在しない世界であり、神はそのような善だけの世界よりも、人間が自由意志を持って行動でき、時には悪を犯すことがあってもそれを乗り越えて善を選び取れるような世界を選んだのだ、と。
 でもこの回答は「天災」については通用しなくなる。そこで、いろいろ理由をつけてなんとか答えようとするのだけれど、例えば数年前の東南アジア〜南アジアで起きた津波のような大規模災害を思い出すと、そこまで神がしなければいけないほどの理由はなかなか考えられない。そこで最終的には、「神の意志は人間にははかりしれない、けれども何か善かつ全能の神には理由があったのだろう」という答えに行き着いてしまう。
 その点、悪神論者の回答は明快だ。悪を作ったのも天災を起こすのも、すべては神が人の苦痛を見たくてやっているのだ、と。「悪の存在」が善神論者にとって問題になるのなら、逆に「善の存在」は悪神論者にとってどうなのか、と思うだろうが、悪神論者によれば何ら不都合ではない。なぜなら善は悪が存在しなくても(それが善である、という区別がなくなるだけで)何も困らないけれど、悪は破壊し利用する対象としての善を必要とするので、悪を本性とする神は善も一緒に創造しなければいけない。善があるからこそ、それが奪われることによって人間が苦痛を感じるわけで、悪しか存在しない状況というのは考えられないからだ。
 ちなみにキリスト教にはサタンというのがあるけど、悪神論者によればサタンの正体は実は神で、善を標榜する神としてあまりに都合が悪い時にはサタンに扮して神との抗争をでっちあげているという話。宗教間抗争といい、忙しい神だなぁ。
 無神論者にとっては「そんなのどうやって分かったんだよ!」と言いたいことの連続なんだけど、善神論よりは悪神論のほうがいくらか合理的に思えてしまうのが困ったところ。