山口夫疑惑に続いて偽物疑惑浮上

 わたしのサイト「ミーガン法のまとめ @ macska dot org」を引用しつつ怪しげなことを主張しているブログがあったのでコメント欄で意見を言ったら、わたしがその本人だと信じてもらえず怪しまれた様子。コメント欄のやり取りで本人だと証明するのも面倒なので、本人確認を兼ねてこっちで応えることにする。
 そのブログというのは、経済学者の植草一秀さんが痴漢で繰り返し逮捕されている件について、無実の罪であるという当人の主張を支持する立場からさまざまな検証をしているもの。わたしは植草さんの事件そのものについて詳しく調べたわけではないので、冤罪かどうかという問題については意見を持たない。でも、問題の記事にはまったく説得力を感じなかった。
 この mojo_on さんという人は、まずわたしの文章から以下の部分を引用する。

ミーガン法を導入する根拠として、賛成論者はよく性犯罪者の再犯率(あるいは子どもに対する性犯罪者の再犯率)が異常に高いことを主張する。なるほど、仮に性犯罪者の再犯率が他の犯罪に比べて飛び抜けて高いのであれば、殺人犯に対してすら行われない特別な再犯防止措置を行う根拠になるであろう。
 ミーガン法の目的は同一の加害者によって性犯罪が繰り返されるのを防ぐことであるから、全ての犯罪を総合した数字ではなく「性犯罪をおかした人が、釈放後にふたたび性犯罪をおかす確率」を「再犯率」として議論に用いるのが適切である。
性犯罪と再犯率 - ミーガン法のまとめ @ macska dot org

 ここでわたしが言っているのは、たとえば性犯罪者が刑期を終えて出所したあと、お金がなくて無銭飲食したとして、それを「性犯罪者の再犯」とみなすのはミーガン法推進の根拠としてはおかしいのではないかということ。ミーガン法の目的は「釈放された性犯罪者が、また性犯罪を犯すこと」を防ぐことであるはずで、もし性犯罪に限ってそうした制度が特に必要だとするなら「釈放された性犯罪者が、再び性犯罪を犯す可能性が高い」ことを示さなければいけない、とわたしは主張している。
 mojo_on さんは、植草さんが逮捕された三つの事件は「統一性」がなく「バラバラ」な傾向があり、「同様の事件」ではない、と主張する。すなわち、冤罪説否定派が「植草さんは同様の事件で三度も逮捕されたのだから、三度が三度とも冤罪ということはないだろう」と主張するのは、釈放された性犯罪者が無銭飲食で捕まることを「性犯罪者の再犯」と見なすのと類似の間違いだということらしい。
 ではどのように「統一性」がない「バラバラ」な傾向を持った事件なのか、というと、以下の通り。

つまり、「三度も繰り返している」の“中身”が、行動心理で厳密に見ると「依存症傾向」が『バラバラ』だということです。
・依存対象(成人女性/15歳女子高生/17歳女子高生)
・依存行為(触れる/覗く/触れる)
・心理傾向(対面/背後/背後)

 いずれも、電車内や駅で15歳から24歳までの女性に対して痴漢行為を行なった(とされる)もので、触った(とされる)のが二回に対して手鏡で覗いた(とされる)のが一回、そして正面から(とされる)が一回で背後から(とされる)が二回。
 このディテールを見て、「これは同一傾向の犯罪ではない、とても同一人物の犯行としてありえない」と思う人が、いったいどれだけいるだろうか。「ありえる」からといって「あった」証拠にはならないが、少なくとも「同一人物が何度も冤罪で犯人に仕立て上げられる」よりはよっぽどありそうに思える。
 ところが、mojo_on さんは「行動心理学」的分析とやらを用いて、次のように論じる。

 とくに、「ハレンチ行為」の場合、「顔を見られない」という心理は大きくて、それは「見られたくない」とか「コンプレックス」などの裏返しで、「背後」や「覆面」などで顔を隠す犯罪者が、堂々と「顔を見せる」ことは、考えられません。
(略)
 当時の植草さんは、すでにマスコミで活動されていたのだから、(ボックスで向かいの女性に触るなどの)「しらふ」で「言い逃れできない場所」で、調書に書かれたような行為は、それこそ「別人?」と思えるくらいです。
 でも、そのまま事務所に行っているのだから、「人間違い」は有り得ません。そうなると、そういう「大胆な行為」を行うタイプだということになる。
 すると、今後は「手鏡で覗き」というのが怪しくなります。
 「大胆な場所で、直接触る」くらい刺激がないと“満足”出来ない人が、エスカレーターの何秒間程度、スカートを鏡で覗いて満足するとは思えません。
 このように「犯罪傾向」から考えても、一連の事件には、いわゆる『科学的な分析』では「モヤモヤ」したものが残ります。
(略)
 植草さんが、3つとも「真犯人」で、全て検察側の言う通りだと【す・る・と】、このように『全体を通して』の話が合わなくなることは無いでしょう。
 「同じ人間は、同じ行動をしがち」ということです。
 一連の「植草事件」をみると、この「同じ行動」であるハズの部分に「統一性」がなく、「場当たり的」な印象を受けます。
 この「場当たり的」な犯行傾向が植草さんにあるのだとしたら、品川事件のような「窃視」系の犯行で満足はしないし、あえて犯罪を犯すほどまでは「心動かされる」ことはありません。
 このように「チグハグな犯行内容」だというのが、一連の事件を整理して見えてくる『最大の闇』なのです。
「行動心理学」と「依存傾向」からの分析 - mojo_コメント備忘録

 ごちゃごちゃ理屈を重ねようとしているけれども、全然説得力がない。正面から女性に触ったことのある人が、別の時にはエスカレータで女性のスカートの中を手鏡で覗こうとすることが、どうしてそんなに(現実にありえないほど)不自然だと思えるのか、まったく理解できない。もしこんなことが「最大の闇」なのだとしたら、冤罪説はかなり信憑性が薄いと感じざるを得ない。
 それで、コメント書いたんだけど、これまた何故か本人だとは信用してもらえなかった様子。

>引用されている、ミーガン法についてのサイトを作った者です。
 そうですか。
 (よろしければ、サイトのタイトル「ミーガン法のまとめ @ macska dot org」の「macska」を付けた“由来”を教えていただければ、非常に「信憑性」が高くなるので、“差し支え”なければ、またコメントを入れてください。)
(略)
と、いうことで、“macska”の由来をお待ちしていますね。・・・あとcomcastということで。

 ブログに載せたことで、とりあえず本人であることは信用してもらえたと思うのだけれど、わけがわからなすぎ。
 あと、わたしがコメントで、

植草さんの件で冤罪を疑うとすれば、それは「本人が冤罪だと言っているから」でしょう。国家の権力やマスコミの影響力を考えると、本人が冤罪と言うのであればその可能性もあると受け止め、さまざまな証拠に懐疑的になるのは良いと思います。しかし、ここで言われたような内容は「チグハグな犯行内容」であるようには全然見えませんし、もしこんなものが「最大の闇」なのだとしたら、冤罪説はかなり信憑性が薄いな、と感じざるをえません。

 と書いたことに対して、mojo_on さんは、

こんな事を、あのサイト作成者(=上記のコメントでは“macska”さん)が言うようには思えないのですが・・・
(略)
ミーガン法の「有効性に疑問」というサイトを作られているような「慎重な方」が、むしろ「植草さんは冤罪」だという主張に対して、「本人が冤罪だと言っているから」だけで、私たちが冤罪を主張しているなどという、いわゆる「アンチさん」のような短絡な発想をする人じゃないですよね。

 と書いている。それが本人だと信じてもらえなかった理由なのかもしれないけれども、ここで mojo_on さんは「植草さんの件で冤罪を疑うとすれば、それは『本人が冤罪だと言っているから』でしょう」だけ抜き出しておかしな解釈をしているだけ。わたしは、冤罪かもしれないと「疑う」理由は、「本人が冤罪だと言っているから」で十分だと言っているのであって、「冤罪を主張している人たちは、本人の申告を信じているだけ」とは言っていない。
 ま、いろいろおかしな解釈をする人っているよね、程度の話なんだけど、一応本人確認のためにエントリ化しました。