変なやりとり
ここのところ、自分のブログエントリを書く余裕がないかわりに、他の人のブログのコメント欄でおかしなやり取りに関わってしまうことが二件あった。
まずは、レレレのお兄様こと双風舎・谷川社長のブログ。同社の新刊『子猫殺しを語る』(坂東眞砂子著)に関連して、同じく双風舎から『若者を見殺しにする国』を出している赤木智弘さんがコメントしたことを受けて、谷川さんがこう書いていた。
さて、拙ブログへのコメントをありがとうございました。おそらく、赤木さんの言説に対する批判や反発は、「論座」においてサヨクのみなさんがおこなったように、また「子猫殺し」に批判・反発した人たちのように、その根っ子には文章を読んで抱いた読者の「不快」さがあるんだと思います。
ようするに、批判する側からいうと、「理屈じゃないんだよ」っていう話なんですよね。たしかに、私自身にも理屈を抜きにして「不快」になる言説や出来事はけっこうある。でも、そういう感じたときこそ、自分の発言や意見には気をつけなければいけない、と考えています。
(中略)
人々が抱く「不快」さという感覚に乗じて、いろんな人たちが差別され、殺されてきました。ナチスドイツはユダヤ人差別という構造をつくりだし、ルワンダのフツ族はツチ族を虐殺する構造をつくりだし、クラスのなかの陰湿ないじめっ子は特定の子どもがいじめられる構造をつくりだす。
(中略)
「これって、ファシズムじゃん」と私は思うわけですよ。そして、いったん以上のような構図ができてしまうと、「自分らは多数派だから正当」と勘違いしている人たちは、長期にわたってそのように勘違いしつづける。そういった傾向は、日本で部落差別や在日差別などがなかなか解決しなかったことを振り返れば、よく理解できるでしょう。
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2009/03/post-5848.html
谷川さんの言っていることはいいのだけれど、その「赤木さんの言説」は日本の部落差別や在日差別はもはやなきに等しいものである、という主張を含んでいたはず。そういえば、谷川さんも「なかなか解決しなかった」と書いているけれども、もしかして赤木さんと同じく(過去にはなかなか解決しなかったとはいえ)「現在においてはほぼ解決している」という認識なのかな?と思って、次のようなコメントを書いてみた。
こんにちはです。
谷川さんは「日本で部落差別や在日差別などがなかなか解決しなかった」と書いていますが、赤木さんは「それらの差別はほとんど解決しており、被差別部落出身者や在日コリアン(や女性)は今や特権者である」という認識だったのではないですか。かれはそのあたり認識をあらためたのでしょうか。かれの最近の主張をよく知らないので、もし認識をあらためたということでしたらわたしもかれに対する認識をあらためなくてはいけないのですが。
それとも、もしかすると「なかなか解決しなかった」のは過去の話であり、現在では既にほぼ解決されている(つまり、部落差別や在日差別などほとんどないに等しい)、という意味で、谷川さんも赤木さんと同じ考えなのでしょうか?
投稿: macska | 2009/03/25 19:45:31
これに対して、次のエントリにおいて谷川さんは自分の立場を次のように示している。
確認したところ、深夜のシマネコBlogの「格差社会を容認する類の弱者が望むもの」というエントリーで、赤木さんは「もはや差別などほとんど無きに等しいのに今だに非差別者としての特権のみを得ている、女性や在日や部落。」と確かに書いていますね。
私は、この件については、赤木さんと見解が異なります。部落差別も、在日差別も、女性差別も、部分的には解消されつつあるものの、いまだ全面的に解消されたとはいえないでしょう。差別される側の人たちとタッグを組んできた左翼やサヨクの陣営が凋落したため、問題が解決していないのに、不可視化されているような気もします。
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2009/03/post-e339.html
というわけで、谷川さんの意見はよく分かりました。めでたしめでたし…
…と思ったら、今度は赤木さんがわたしのコメントに反応してきた。
macskaさんへ
あなたの興味として、私が現在、差別問題に対してどう言っているのか知りたいのであれば、あなたが勝手に調べればいいのでは? 谷川さんだってヒマではないのですから。
Webは以前のように公開されてますし、新しい単行本である『当たり前をひっぱたく』には、いろいろな媒体で書いた主な文章が網羅されています。双風舎の掲示板で河出の本を宣伝するというのも変な感じですが、お買い上げ頂ければ幸いです。
では。
投稿: 赤木智弘 | 2009/03/26 7:50:05
わたしが興味を持って質問したのは谷川さんの意見についてだったのだけれど、ちょっと誤解があるみたいなので以下のように応えた。
赤木さん、
わたしは「赤木智弘の最新の思想」に特に興味を抱いているわけではありませんが、赤木さんの意見に応えるかたちで谷川さんが部落差別や在日差別の問題に触れたので、それは谷川さんは赤木さんの意見を受けて書いているつもりでも、実際には赤木さんの意見とは違うのではないか、と感じたのです。
もちろん、「認識をあらためたのでしょうか」と書く前に、わたしはあなたのブログのURLを指定して「部落」「在日」などの単語で検索してみましたが、あなたの意見が以前と変わったことを示す記事は見つかりませんでした。が、赤木さんは今やいろいろなところに執筆されているので、わたしが読んでいない記事で何か書いている可能性もあると思い、過去のブログエントリだけで決めつけてはいけないと思って「認識をあらためたのでしょうか」と書いたのです。べつに、谷川さんに対して「わたしの代わりに調べてくれ」とお願いしたわけじゃあないですよ。
『当たり前をひっぱたく』は興味はあるので機会があれば読みます。新著出版おめでとうございます。
投稿: macska | 2009/03/26 17:45:17
ところが、これでも赤木さんは不満が残ったらしい。
macskaさん
>谷川さんが部落差別や在日差別の問題に触れたので、それは谷川さんは赤木さんの意見を受けて書いているつもりでも、実際には赤木さんの意見とは違うのではないか、と感じたのです。
それはおかしいでしょう。
そもそも、元々の私のコメントはなんら部落や在日問題に一切触れておらず、谷川さんの記事でもあくまでも「ファシズムの1つの形」として、部落や在日の話を出しているに過ぎないわけです。谷川さんは私の部落や在日問題に対する意識など、まったく受けていません。
その全く筋違いのところを、なんでわざわざくっつけてコメントをされたのでしょうか?
ある人の書いた物から引用なり何なりして話を構築する人は、元の文章を書いた人の、すべての主義思想に対する責任を負わなければならないって? そんなバカな(苦笑)
冗談めかして言ってますけど、あなたのそうした行為は、言論行為そのものを萎縮させかねない危険な行為だと私は思いますよ。
投稿: 赤木智弘 | 2009/03/27 7:14:47
すげー、言論行為そのものを萎縮させかねない危険な行為だってよ!
とまぁ、赤木さんが何を言い出しても別に誰も驚かないのだけれど、ちょっと驚いてしまったのは、芹沢一也さん@シノドスのブログに掲載された、政治学者の吉田徹さんの文章。この文章は、吉田さんの新著『ミッテラン社会党の転換―社会主義から欧州統合へ』の内容紹介として書かれたものなのだけれど、次のようにはじまる。
アメリカ大統領に就任したバラク・オバマは、昨年11月のシカゴでの勝利演説で「権力とは希望のことだ」といいました。実は、数十年前に全く同じことを言った政治家がいます。それがフランソワ・ミッテランというフランスの大統領です。
http://synodos.livedoor.biz/archives/451529.html
オバマの勝利演説でそんなフレーズを聴いた覚えがなかったので調べてみたけれど、やっぱりそのような内容はなかった。そこでコメント欄で問い合わせてみた。
1. macska March 14, 2009 00:48
オバマの勝利演説に「権力とは希望のこと」という意味の内容は見当たらないのですが…
芹沢さんは、親切にもわざわざ吉田さんに問い合わせたうえで、次のように応答してくれた。
5. 芹沢一也 March 14, 2009 22:29
macskaさん。吉田徹さんからの回答がきました。以下、カッコが吉田さんからの回答です。
「To those -- to those who would tear the world down: We will defeat you. To those who seek peace and security:
We support you. And to all those who have wondered if America's beacon still burns as bright: Tonight we proved once more that the true strength of our nation comes not from the might of our arms or the scale of our wealth, but from the enduring power of our ideals: democracy, liberty, opportunity and unyielding hope.
という部分のことを指しています。「揺ぎない力(enduring power)=希望(hope)」という定式です。
powerを「力」とするか「権力」とするかは、趣味の問題だろうと。」
ぼくは原文をチェックしていなかったのですが、このpowerの意味については、「民主主義国家」においては、さまざまに議論ができるところですね。
うーん、ちょっとおかしい。以下は、それに続くわたしと芹沢さんとの問答。
6. macska March 16, 2009 08:01
確認ご苦労さまです。しかしこれは「趣味の問題」じゃなくて明らかな誤読かと。
enduring power という言葉だけ抜き取れば、それは権力のことであるという解釈も可能かもしれません。しかしここでは、enduring power of our ideals という語句があり、その ideals の内容として democracy, liberty, opportunity and unyielding hope が挙げられています。
「われわれの理想」の揺るぎない権力、という言い方は、権力論の文脈ならありえるかもしれないですが、この場合どう考えても単純に「われわれの理想」がこんなに力強いのだ、という意味です。さらに、ここでは「理想=希望(etc.)」とされているのであって、「力=希望 (etc.)」ではありません。つまり、「権力とは希望」という解釈があり得ないばかりか、仮に「力とは希望」と解釈していたとしてもそれも間違いだったということです。
7. 芹沢一也 March 16, 2009 09:54
問題は吉田さんにとっての権力というのが、<政治的なもの>の次元にあることだと思います。「われわれの理想の揺るぎないpower」、その「理想の力強さ」を実現する具体的な実存が<政治>家であって、彼こそが<政治的なもの>の次元を切り開く。つまり、ぼくは吉田さんの議論を、ウェーバー=シュミットの文脈で読んでいるのですが、これはぼくの個人的な読解にすぎないかもしれません。英文の解釈としてはmachkaさんに同意しますが、政治哲学的な読解としては吉田さんの見解は成り立つと思います。
思いますって言われても、それは「オバマの発言は政治哲学的にはこのように解釈できる」みたいな言い方が可能(かもしれない)というだけの話で、「オバマがこう言った」という書き方じゃ完璧にアウトでしょう。別にこの程度の間違いがあったとしてもこの本の価値には関係ないだろうし、わたしのコメントをスルーするという選択肢もあったわけで、そこまで無理して吉田さんの文章を擁護しなくてもいいと思うんだけどな。