シカゴとアナーバーに行ってきた話。

 まだ気分悪いけど、1週間ぶりに普通に食事を取ったのでこのところの報告してみる。
 25日、自分の発表をなんとか作り上げて両山口先生(一方は組長ともいう)に送る。超遅れてごめんなさい。で、寝ないでそのままユナイテッドのシカゴ便に乗る。
 26日、シカゴのシェラトンホテルに到着。数時間後、斉藤さんとチキさんも到着したけど、チキさんが日本からの長旅にダウンしていたいので斉藤さん、山口さんとラーメン食べに行く。しかしラーメン屋しまっていたのでホテルに帰ってハンバーガー。オーダーを待っていたら、次々と知らない人が「斉藤正美先生ですね」と挨拶に来る。まさみん、大先生だったんだ!
 その夜最初に行ったパネルは、日本における新しい労働運動について。派遣村をはじめとした最近のさまざまな取り組みについて、実際にそこに行った人の話というのは貴重。個人的に興味があったのは米国との比較で、アメリカでは2004年以降労働運動が新しい形で活発になっていると(結構有名らしいアメリカ人の労働運動研究者が)言うのだけれど、そこで示された「新しい路線」(運動モデル、社会公正への関心、マイノリティや移民や女性労働者の支援)を代表するのは、AFL-CIOよりはむしろそこから脱退したChange to Winの側。
 AFL-CIOからChange to Winが分離した話は以前書いたけれども、わたしの考えはまったく変わっていない。あの分裂は起こるべくして起きたものだし、それによって米国の労働運動は強くなった。日本でも、もし主流の労組がホワイトカラー・エグゼンプションに対して必死になって抵抗しておきながら、派遣労働者などより弱い立場の労働者の問題について真面目に取り組まないようであるなら、既存の労組とは別の動きがでてきているはず。パネリストに後で話を聞いてみたら、そういう動きは既にあるという人と、アメリカやオーストラリアと違い日本ではそういう動きはまだ起きてきていないという人がいて興味深かった。後者が言わんとすることは、個々の問題で相談にのってくれたり働きかけたりしてくれる団体はあっても、それが運動として広がりを持たない、ということだと思うけど。
 ちなみに最近、AFL-CIOがオバマ政権とのコネを使って、自分たちの側に戻ってきた方が得だよ、みたいにChange to Winのメンバーに囁きかけているらしい。ビッグスリー救済で政治力を示して、再び自分たちが労働運動を全部仕切るつもりか。
 その後、チキさんの部屋に集合してルームサービスでディープディッシュのピザ。斉藤さんとチキさんからお菓子をおみやげにもらう。
 27日、最初に行ったパネルは教育問題について。ひとつ質問したけどもう覚えてない。続いて過去の戦争や植民地主義の影響でいまも残る問題について。米国で収容された南米の日系人、サハリンに置き去りにされたコリアン、など。「在日特権を許さない市民の会」についての発表があり、そういうばかみたいなものが存在しているのは知っていたけれど、具体的な活動などは調べてこなかったので、いろいろ驚く。ザイ子ちゃんはないと思うけどなぁ。
 で、特別注文を受けて、不謹慎にも『在日特権』バッジを作ってしまった。


    *


 この日の夕食は、ノーマ・フィールドさん(『小林多喜二』難しいけどおもしろいです)らと合流してタイ料理。わざわざ予約を入れて遠くまで行った割には普通の小さな店だったのだけれど、味は確かにおいしかった。その後、日本社会学者ネットワークというのに出てみたら、白人の日本研究者だらけだった。
 28日はわたしたちの発表、に先立って山口さん、斉藤さん、チキさん、ローレンさん、そしてディスカッサントの山口一男先生で打合わせ兼お昼。ローレンが、朝のパネルでデビューボ(じゃなかった、ボーヴォワール)に関する発表があり酷かったと愚痴ってたが、本当に酷そうだった。
 パネルの準備をしていると、ノーマ先生登場、に続いて宮台真司東浩紀とその一行が登場。見てると、宮台さんらがノーマさんに挨拶し、その他の人が続々と宮台&東に挨拶しだしたので、わたしも挨拶しておいた。でも宮台&東は何か他に用事があるとかで、チキさんの発表が終わった途端に退出。結局、ノーマ>宮台・東>チキ>わたし、という力関係なのか。
 パネルの内容は、既に他にレポートしているところがあると思うけど、わたしの部分はWaiWai問題と国籍法改正をめぐる騒動について、「ジェンダーフリー」以後のネットにおける政治的なイベントとして考えてみた。あとで詳しく報告すると思う。
 夜は、ハイドパークまで行ってオバマも大好きなキャットフィッシュ料理を食べたかったのだけれど、事情によりイタリアンの店に行った。ケーキがばかでかかった。ホテルに戻ったあと、Critical Asian Studies誌のレセプションに出てみたけど、なんか反戦を唱えるのが偉いみたいな単純すぎる話の展開にちょっとがっかり。もともと西洋の「非西洋研究」なんてものは、植民地主義をうまく回すためにある学問で、いまでもイラクアフガニスタンやその他世界中の各地でアメリカの利害を守るために多くの人が働いているフィールドなんだから、それに抵抗する軸としては必要なジャーナルなんだけど。
 29日、朝は早起きしてチキさん、斉藤さん、山口さんと合流。3人は同じタクシーで空港に向かってしまった。わたしは帰りの便が遅かったので、宮台&東のパネルをみにいって、その後シカゴに住んでいる友人がホテルまで来てくれたのでカフェでいろいろしゃべってると、隣の席に宮台らの一行が登場。別にいーけど。その後わたしもポートランドに帰る。
 4月1日、機内で酸素マスクを作動させて「エイプリルフールです!」とか言うお茶目なパイロットには幸い当たらず、普通にポートランドからミネアポリス経由でデトロイトへ。この機内で熱を出す。空港からはシャトルミシガン大学のあるアナーバーに約45分程度。ミシガン大学病院でインターセックス/性発達障害についてのシンポジウムに参加するために来たんだけど、たまたま同じ日には米国ツアー中の宮台&東もこのミシガン大学でイベントをしていた。時間の都合で見に行くことはできなかったけど。
 性発達障害シンポジウムは3日まで続いたけれども、わたしは気分が悪かったので2日の午後をキャンセルしてホテルで休んだ。シンポジウム自体は、嫌な医者がたくさんいるんだろうなぁと思っていたのだけれど(それが熱を出したことと無関係ではないような気もする)、意外と医者以外の参加者が多くて良かった。専門の医者だけ集計すれば多分いつものように白人男性だらけになったはずだけど、自助団体や支援団体からの人を含め、専門医以外は圧倒的に女性が多くて、それがかなり議論の内容に影響を与えたと思う。
 4日、今度もまた遅い便でミネアポリスを経由してポートランドに帰る。シンポジウムが終わった前後にはちょっとだけ気分が良くなってきたのだけれど、その後また長旅で苦しい状態に。帰宅後は、ゆっくり休もうとしているのだけれど、まだ病気のままだったりする。まぁそれでもこれだけ書けたけど。