ダーウィンが『種の起原』において性選択を「こじつけ」と書いた、という誤読について

 その存在について公の場で書くと偉い先生方に怒られるという某秘密主義メーリングリストで、チャールズ・ダーウィンを特集した『現代思想』4月臨時増刊号について紹介するポストがあった。その内容も投稿者の名前も当然公の場で書くわけにはいかないのだけれど、なんでもその号には斎藤光さん(米文学者じゃなくて、性科学者科学史家の方だと思う)の「ダーウィンにおける性選択 (sexual selection) の問題」という記事があって、その中で興味深い指摘があるという話。
 その指摘というのは、ダーウィン自身が『種の起原』において、「メスを魅了するための美の誇示による性選択の効果は、むしろこじつけの意味で有用といいうるにすぎない」と書いていた、というもの。性選択の理論といえば、もちろん自然淘汰とならんでダーウィンの代表的な理論の一つだけれど、それがこじつけであるとダーウィン自身が認めていた、というのが本当なら、たしかにかなり興味深い。
 幸い、ダーウィンの著作は全てネットで公開されているので、『種の起原』初版を探してみると、上の文に極めて近い文が見つかった。以下は初版199ページからの引用(下線部は該当部を示すために引用者が引きました)。

The foregoing remarks lead me to say a few words on the protest lately made by some naturalists, against the utilitarian doctrine that every detail of structure has been produced for the good of its possessor. They believe that very many structures have been created for beauty in the eyes of man, or for mere variety. This doctrine, if true, would be absolutely fatal to my theory. Yet I fully admit that many structures are of no direct use to their possessors. Physical conditions probably have had some little effect on structure, quite independently of any good thus gained. Correlation of growth has no doubt played a most important part, and a useful modification of one part will often have entailed on other parts diversified changes of no direct use. So again characters which formerly were useful, or which formerly had arisen from correlation of growth, or from other unknown cause, may reappear from the law of reversion, though now of no direct use. The effects of sexual selection, when displayed in beauty to charm the females, can be called useful only in rather a forced sense. But by far the most important consideration is that the chief part of the organisation of every being is simply due to inheritance; and consequently, though each being assuredly is well fitted for its place in nature, many structures now have no direct relation to the habits of life of each species.

 周辺の文脈を説明すると、ここはダーウィンが自説に対する批判に対して反論している部分。ここで反論されている批判というのは、「細部にわたって全ての形質がその生物自身に役に立つよう進化したというのは間違いではないか」というもの。
 現存する生物を見た場合、明らかに「役にたっていないような形質」は存在する。そして、そのすべてを「機能的には一見役に立たないようだが、美の誇示によって異性を惹き付けるという形で実は役に立っている」という論法を用いて、性選択によって説明するのはこじつけじみている、とダーウィンは言っているわけ。
 その上で、一見役にたっていないような形質の存在については、ほかの説明が可能である、とダーウィンは反論してるのね。その説明というのは、現世代においては役に立たないような形質も、遺伝によって起こる以上はその生物の先祖にとっては何らかの役にたっていたに違いない、というもの。
 引用された一文だけを読むと、まるでダーウィンが性選択の理論そのものが(少なくとも美の誇示による性選択という部分が)「こじつけ」だと書いているように読める。でも実際には、(現世代において)機能的に説明することができない形質のすべてを性選択によって説明するのはこじつけである、というのがその意図で、性選択の理論そのものの正しさには相当な自信を持っていたはず。
 ついでに言うと、display されるのは the effects of sexual selection であって beauty ではないから、訳としても微妙に間違っている。それが斎藤さん独自の訳なのか、日本語訳として出版されている本でそう訳されているのかは分からないけれども。