どうでもいい米国憲法学トリビア

 「押して、押して、押し倒されろ!」のゆうさんが、首都ワシントンDCにおいて同性婚を禁止するために米国下院で提出された法案について紹介している。

提出されたのは、「婚姻を男女間のものに限る」という法案であり、基本的に同性婚を禁止するもの。 (...) ところが、最近各州で同性婚を認める州が増え、ワシントンDC地区も、協議会にて他の地域で認められた同性婚を認めるという方針を決めた。(...) ところが、議会による今回の法案提出はこのワシントンDC地区協議会の決定を覆し、同性婚容認への流れを阻止しようとするもの。
ワシントンDCは、同性婚を禁止するのか!?

 ワシントンDCは州ではなく連邦直轄の特別区なので、州よりも権限が小さく、連邦議会の干渉を強く受ける。そのため、地元の協議会が同性婚を容認しようとしても、連邦議会がそれを禁止してしまえば何もできない。このような弱い立場にDCの住民が置かれていることは、その過半数が黒人であることと無関係ではないだろうけれども、それは置いておく。

ちなみに、オバマ大統領は、「各州はそれぞれ何をもって婚姻とするかを自由に決める権限がある」とする立場。つまり、各州が「同性婚を認める」ことも、「同性婚を禁止」することも容認している。オバマ自身、初めから同性婚には反対であり、シビル・ユニオンを支持している。
黒人である彼は、「Separate but Equal」の欺瞞を十分に理解しているはず。それなのになぜ「シビル・ユニオンでいい」なんていうことが言えるのか?どの面さげて言えるのか!?

 黒人でなくても、民主党の議員の大半は同性婚実現の必要性を全面的に理解している。それを口に出せないのは有権者バックラッシュが恐ろしいから。クリントンが1993年に大統領に就任した直後、同性愛者が軍隊に参加することを認める決定を下したところ、いきなり物凄いバッシングにあって初速をほとんど失ってしまったことがトラウマになっている。
 ここ数年の動きの速さを見れば分かる通り、米国における異性カップルと同性カップルの完全な法的平等は、近い将来に必ず実現する。「絶対計算者」ネイト・シルバーの世論調査分析モデルによれば、今年の終わりまでには世論調査において同性婚への賛成が五割を越えるのは11州だが、2013年には過半数の州が加わり、2016年には特に保守的な南部諸州をのぞく全ての州で同性婚賛成派が多数になるとしている。その南部でも、2024年には最後に残ったミシシッピ州同性婚賛成が反対を上回るという計算だ。
 今の若い人の多くは、幼い頃から周囲に同性愛者がいるのが当たり前の環境で育っているし、今後そうした生育環境は広がりこそすれ狭まることはありえない。さらに年長世代でも、同性婚反対派が賛成派に意見を変えることはあるけれども、一度反対から賛成に移った人がふたたび反対派に戻ることはほとんどない。だから、どう考えても近い将来において同性婚は確実に実現する。
 民主党議員の大多数はそれを分かっていて、でも時代より先走り過ぎて自分が落選したらかなわないと思っているだけ。オバマ大統領も、どうせ放っておいても近い将来に実現するような問題に限られたポリティカル・キャピタル(政治的資本)を浪費するのではなく、健康保険改革とか温暖化対策のように米国の将来にとって重要な難問に取り組むためにポリティカル・キャピタルを温存しておきたいから、中途半端なことしか言っていない。もちろん共和党議員の大多数も、歴史の流れに抗っても中長期的には無意味なことは分かっているけれども、かれらもかれらなりに選挙上の事情で同性婚反対を叫んでおかなければいけないわけ。
 そのあたりをよく分かっていないのは、今回の法案を提出した共和党議員たちだ。そもそも同性婚問題は既に「議論になればなるほど同性婚容認への支持が広がる」ステージに入っていて、反対派が醜いキャンペーンを繰り広げれば繰り広げるほど同性婚実現が近くなるだけ。特にこの法案の場合は、ワシントンDC住民の自治連邦議会が否定するという構図になるわけで、「小さな(連邦)政府」と地方自治の尊重を主張する保守本流の立場からしても居心地が悪いはず。というわけで、法案を提出した議員たちには、無駄な悪あがきご苦労さまでした、と言うしかないかと。
 ただ、ゆうさんは「separate but equal」解説を別のサイトから取ってきているのだけれど、これがちょっと文脈的には駄目かと。

原題'Separate But Equal'とは「分離すれど平等」という意味で、教育、職業、乗物など、平等の機会・施設が用意されていれば白人と黒人を分離しても合法という1896 年の最高裁判決を指します。しかし、これは明らかに米国憲法修正第14条「全ての国民は法の前で平等」という趣旨に反していて、連邦裁の「分離教育は合法」という判決は憲法を無視しています。

引用元: http://www2.netdoor.com/~takano/southern_film/separate.html

 「明らかに」違憲じゃないからこそ、1896年の判決 (Plessy v. Ferguson) では separate but equal が認められたんだけれども、それはいいとしても、実はワシントンDCの議論をするときにはこの理屈じゃ駄目なんだよね。だって、 Bolling v. Sharpe (1954) において、ワシントンDCは憲法修正第14条の適用外ということになっているんだもの。とはいえ、Bolling では憲法修正第5条の「適性手続」の延長として修正14条と同じ保護がワシントンDCの住民にも与えられると解釈されているので、separate but equal が認められないという結論は同じだけど。ってなにそのどうでもいい米国憲法トリビア