いつから「フェミニスト」は「準備と覚悟」なんて説くようになったんだろうか?
ダイヤモンド社のサイトDIAMOND onlineに「特別レポート」として、「悲惨な“男おひとりさま”と“予備軍”が急増中! 30代からでも早すぎない、『老後の準備』と『覚悟』」というタイトルの上野千鶴子さんへのインタビュー記事が掲載されている。おそらくタイトルは編集部が考えたもので、上野さん自身は関わっていないのだろうけれども、わたしが最初にこのタイトルを見た時に感じたことは、「わたしだって30代だけれど、老後の準備をしたくったってそんな余裕どこにもないよ!」という反発だった。
でもインタビューを読み進んでいくと、どうもわたしが思っていた内容とは違う。その違いがよく分からなくて、つまり上野さんが何を言っているのかよく分からなくて、もう一度最初から読みなおしてみて、ようやく分かった。上野さんがこのインタビューで言っている、「準備と覚悟」が必要な「老後」の「悲惨」というのは、わたしが思っていたような、主に経済的あるいは生活上の困難や悲惨さのことではなかったのだ。二度目に読んでみてはじめて理解できた上野さんの真意は、社会的強者である男性が、仕事を退職して社会的な役割や地位を失ったり、介護を必要とする弱い立場に置かれるようになったときに、精神的に悲惨な思いをしてしまう、ということに警鐘を鳴らすことのようだ。
つまりわたしは、タイトルから「老後の生活の不安」について30代から準備しろという内容だと解釈して、「そんな余裕どこにあるんだよ」と思いながらこのインタビューを読んでいたのだけれど、上野さんはどうやらそのような不安をそもそも取り上げようともしていない。少なくとも経済的には、老後も普通に生活ができるということが、まるで当たり前の前提であるかのようになってしまっている。生存の物質的な条件を無視して「心のありかた」だけを取り上げるなんて、マルクス主義フェミニストとしてどうなのかと思うんだけれど。
そもそもマルクス主義かどうかは別として、フェミニストはいつから「準備と覚悟」なんてのを説くようになったんだろうか。実存的不安を抱える人々に「こう生きたら楽に生きられる」と説くのではなく、理不尽な悲惨を生み出す社会制度を分析し、告発し、変革することこそが、フェミニストと呼ばれる人たちのやることだと思っていたのだけれど。