山本彰記者@世界日報、もうサイコー

爆笑記事を連発していて目が離せない山本彰記者@世界日報が、これまでにも増して暴走してるみたいです。以下は記事「DNAは残った/第二次男女基本計画のジェンダー論(1)(12月23日)より引用。

第一に、ジェンダーという言葉を「社会的・文化的に形成された性別」と定義することで、フェミニストが、「男性優位の社会の中で、女性は『女らしくしなさい』といった言い方で抑圧されてきた」という、差別的ニュアンスを込めている点だ。ジェンダーを通じて男女が支配・被支配の関係にあるというマルクス主義階級闘争的な思想を注入しているのである。

 いくらフェミでも、いまどき階級闘争的な「権力」の解釈はしてないと思うけどなー。ま、山本さんから見ればフーコーも何もかもマルクス主義の変形なんだろうけど。

猪口邦子男女共同参画担当相は、男女共同参画は「雛祭り」「鯉のぼり」を否定するものではないとする。これは、伝統的な「男らしさ、女らしさ」をはぐくむ教育を是認するということだ。

 論理になってませんですー。もし雛祭り1つ認めただけで「伝統的な男らしさ、女らしさをはぐくむ教育」まで是認したことにされてしまうなら、わたし雛祭り反対に回るよ。まぁ山本氏の論理が滅茶苦茶なだけで、実際にそんなことはないんだけど。

それでいて、男女の伝統的な働き方を「固定的な男女の役割分担」と批判している。母性を持つ妻が、より子育てに多くの時間を割くのは男女の特性を生かすことであり、これだけを「固定的」と批判するのは、明確なダブルスタンダードである。

 ある女性が母性を強く持っているなら、その人が子育てに多くの時間を割くのは自由ですよ。でも、「母性を持つ男性」だって「母性を持たない女性」だっているでしょうが。そういう個人差を無視して「女性だからこう生きろ」と決めつけることが、「固定的な男女の役割分担」と批判されているわけです。第一、母親が子育てに多くの時間を割く「伝統」なんて歴史的に言ってごく最近のものですよ。

男女には、それぞれ持って生まれた特性があり違いがある。

 だったら、わざわざ「男らしさ・女らしさ」をはぐくむ教育なんて実施しなくても勝手に「男らしく・女らしく」育つはずでしょーが。強力な生物学的根拠があるのかないのか、どっちかにしてくださいよー。

結局、ジェンダー論の指摘は、学問的に新しいもののように装っているが、その中身は、共産主義者フリードリヒ・エンゲルスが、「家族の中では夫はブルジョアであり、妻はプロレタリアートを代表する」(『家族・私有財産・国家の起源』)などと主張したのと同じ考え方である。

 あれ、ジェンダー論の元締めはジョン・マネーじゃなかったんですか?

男女共同参画局は、今回の改定で、男女同室宿泊などを「極めて非常識」と紹介し、政府も、これまで「男女共同参画のはき違え」(細田官房長官・当時)という説明でかわしてきた。
(略)
結局これは、はき違えなどではない。

 「はき違えなどではない」というのはその通り。男女同室宿泊や男女同室着替えなどの例は誰かが男女共同参画をはき違えて実施したわけじゃなくて、批判派が勝手に「男女共同参画」と結びつけているだけです。
 しかし、この人は懲りないなー。キーワード「山本彰」もよろしくですー。