「セーフティネット=大きな政府」ではないんだけど

本家ブログで取り上げた毎日新聞の連載「縦並び社会・格差の現場から」では毎回の記事の内容に関連したアンケートを行っているというので見てみて、ちょっと失望した

【質問】
◆無保険者が30万世帯に達し、病院に行けない人も出ています。どう考えますか。
 ・保険料を支払っていないのだから仕方ない。
 ・予算をもっと投入し、保険料免除などの対策を拡大すべきだ。

 あのー、選択肢ってそれだけなのですかー? 「小さな政府か大きな政府か」というのは分かりやすいけど、どっちも悲惨な結果になるだけ。どちらか選べと言われれば、「保険料を支払っていないから病院に行くな」という見解はちょっといくらなんでも認められないから後者を選ぶしかないけど、ただ単に保険料免除なんてしていたらどんどん払う人がいなくなるから、予算をもっと投入すればいいってものじゃないでしょ。いまある健康保険制度はフェアでもなければ効率的でもないのだから、予算をそれほど増やさずに持続可能な制度を新たに設計するしかない。そのためにウーヴィ・ラインハート教授のような一流の学者がどんなことを提案しているのか、記者はちゃんと調べて報道してよね。
 で、気になったので他の回のアンケートも見てみたけど、全部こんな感じで2つのうちから1つを選ぶ感じ。中には「株取引をしてみたいですか?」とか「起業したいですか?」みたいなくだらないアンケートもある。社会の格差について取り上げた記事を書いておきながら、どうせ読者なんてその程度のレベルだと読者をバカにしているんじゃないの?


連載開始にあたっての記事を見たら、こんなことが書いてある。

「一億総中流」時代は終わり、格差が広がりつつあります。効率追求の競争はますます激しく、会社も人も「勝ち組」「負け組」にはっきり分かれようとしています。自殺は毎年3万人以上、生活保護は100万世帯を超すという現実が私たちの眼前にあります。これが「頑張れば報われる」新しい社会像なのか。それともセーフティーネット重視の相互扶助型の社会を選ぶのか−−。

 ここでもやっぱり、「効率追求の競争が激しい、格差の大きい社会」か「セーフティネット重視の相互扶助型の社会」かという古くさい対立軸でしか捉えていない様子。セーフティネットとはただ単に慈善的に困っている人を助けましょうというわけじゃなくて、頑張れば報われる社会や効率的な市場を維持していくためにこそ必要とされているんだけどね。
 昨日聴いたラジオ番組で、クリントン政権の国家経済会議議長だったジーン・スパーリングが新著「The Pro-Growth Progressive: An Economic Strategy for Shared Prosperity」の宣伝を兼ねて出演していた。この本の中心的なテーマは、リベラル派は経済成長やグローバリゼーションを恐れず、積極的に肯定的な部分について語っていくべきだ、ということらしいけれど、だからといって自分は保守に転向したわけでも弱者は切り捨てて良いと言っているわけでもないとかれは言う。
 当たり前だけれど、めでたく「勝ち組」に入ることができた人たちは、決して自分の努力だけで成功したわけじゃない。いや、もちろん実際にその人に人並みはずれた才能があったのかもしれないし、人より何倍も努力したかもしれない。仮にそうであっても、かれらがもし最低限の教育や医療を受けられない境遇に生まれていたり、社会が不安定で経済活動が成り立たなかったり、一部の特権者だけが富も権力も独占しているような社会だったり、そういうさまざまな要素が違っていたら、決して成功できなかったはず。ホリエモンでもビル・ゲイツでもね。誰もがそうして先人たちの築き上げてきたものの上に新たに何かを築こうとしているはずで、自分の実力だけで成功した人なんて一人だっているわけがない。
 ところが今、その最低限の教育や医療を誰もが受けられる体制が崩壊しつつあり、一部のグローバルな大企業やそれと結びついた特権者によって市場や民主主義が歪められようとしている(例えば、チェイニー副大統領がCEOを務めていたハリバートン社にイラク復興利権が押さえられているように、ネオコンは民主主義ばかりか市場主義すら逸脱している)。先人たちから与えられた様々な社会制度のおかげで成功することができた人たちには、未来の世代のためにそれらを保存する社会的な責務があるはず。スパーリングはそういう事を言っていた。
 現世代で競争から脱落した人たちを扶助することももちろん大切だけれど、それにも増して市場や民主主義が機能するための社会的条件の保存は重要な課題であり、そのためのコストをある程度成功した人たちに負担してもらうのは慈善でもなんでもない。先人たちが作った制度の恩恵をもっとも多く受けたかれらこそ、その「借り」を次の世代に返せというだけのこと。それは「大きな政府」ということでも競争否定でもなくて、競争を肯定するからこそ次世代でも公正な競争が行えるような条件を今から整備しておくべきだということなんだけれど、毎日新聞のまとめ方だと「セーフティネット重視=大きな政府」ってコトになっちゃう。そんな単純な話じゃないと思うんだけどなー。