ぶるっくなー救済計画(倒れ?)3

khideaki さんに構っているうちに、Bruckner05 さんが新たな記事を載せている。「大沢・上野・デルフィ説」などと言って、自分に理解できないものを勝手にごちゃ混ぜにしたりしているけれど、それはともかくわたしが以前「ジェンダーがセックスを規定する」という記述について、

これは簡単な話で、要するに「あなたがセックスだと思っているものは身体そのものではなく、文化的・社会的なレンズを通して見た、身体についてのひとつの解釈ですよ」というだけの話。こんな当たり前のことが、どうして「狂気のジェンダー論」になるのか。

書いたことについて、「当たり前」というのはおかしいと反論している。

大沢真理氏も上野千鶴子氏も、この説を、それまでの常識を覆す新しいジェンダー論として紹介し、「ジェンダー論の90年代前半の到達水準」とか「ポスト構造主義の到達点」などと書いている。ふつう、常識を覆して提示された学説を「当たり前」とは言わない。それまでの常識こそが「当たり前」なのだから。
 もちろん、新説が世間に受け入れられ、定説になれば、その時点で「当たり前」になるのは理解できるが、「狂人の発想」という学者もいれば(渡部昇一氏、『男は男らしく、女は女らしく』)、「大きな間違い」(長谷川眞理子氏、「WEDGE」06年1月号)とか、なんじゃこれ?と首をひねる学者(大隅典子氏)までいる現状では、とても世間に受け入れられたとは言えない。
(略)
 だいたい、大沢説を礼賛している学者たちは、(当人も含めて)「簡単な話」とは思ってないはずだ。思ってないからこそ、新説の妥当性の根拠として、ジェンダー論の最新学説(デルフィ)やら分子生物学やら性科学やらを挙げ、学術的、自然科学的な裏付けがあると強調しているのだ。本当に「簡単な話」なら、そんな権威を持ち出す必要はない。
 「ジェンダーがセックスを規定する」なんてのは突拍子もない考えなのだから、「簡単な話」「当たり前」と開き直るよりは、正直に「驚天動地」とか「コペルニクス的大転換」とか言ってくれた方がまだ可愛気がある。

 これに対する反論は、一言で足りる。「当たり前のことだけれど、当時の認識では大発見だったんだよ」。地動説だって、当時は「大転換」だったけどいまでは「当たり前のこと」でしょ。
 Bruckner05 さんは世間が受け入れていないではないかと言うけれども、専門外の学者はともかく女性学やジェンダー理論・クィア理論など関連領域の研究者のあいだでは(どころか、それらの分野を専攻している学生レベルでも)常識となっている認識ですよ。とはいえ、わたしが「当たり前」と言ったのはそれが専門分野内で受け入れられた定説であるからではなくて、論理的な明晰さを指して「当たり前のこと」だと言ったからなので、「受け入れていない(専門外の)人もいる」というのはどちらにしても的外れな批判だけどね。
 もう1つ Bruckner05 さんが批判しているのは、わたしの以下の発言だ。

というかね、「ジェンダーがセックスを規定する」なんて話、はっきり言って分からなくて構わないの。だって、そんなことはジェンダー論を学んでいる人が分かっていれば良いことで、直接ジェンダーフリー周辺の議論とは関係ないもの。

 この部分は、エリート主義的だとか、ジェンダー論というのはそんなに役に立たない学問なのかと批判されることは想定していたけれど(そして、それらに対する反論の準備はしていたけれど)、Bruckner05 さんの批判はそれとは違って、以下の通りだ。

macska女史のこの言い分には妥当性がない。一部の専門家しか理解できず、社会的合意のない概念を、全国民に深甚な影響を及ぼす基本法に盛り込み(しかもこっそりと)、制定当時に賛成した国会議員ですら、そんな意味があるとは知らなかったとこぼす(当時の法相、森山真弓氏)、審議会委員も事務局の官僚ですら何が何だかわからないうちに答申が出され、それに基づいて法案ができてしまう、こんな非民主主義的で権威主義的な手法(由らしむべし、知らしむべからず)こそが、今日の混乱を招いたのだ。
本来なら、ジェンダージェンダーフリーの概念について、誰にでもその意味がわかるようにきちんと説明すべきだった。「性別概念に関する天動説から地動説への転換ぐらいの認識革命が起こった」とか、男女特性論を排除したとか、そういうことは、基本法案を議論し、審議する際に、広く周知すべき情報だったのに、推進側はそれをやらなかった。

 説明をもっとするべきだったということは、まったくその通り。もっとちゃんとした説明をしておけば、いまになって Bruckner05 さんみたいな人がおかしな言いがかりをつけてくることもなかったかもしれないものね。でもそれは、「ジェンダーがセックスを規定する」という部分を説明するべきだったということにはならない。というのも、「ジェンダーフリー」というときの「ジェンダー」とは、「セックスを規定する」ジェンダーではなく、もっと通俗的な「社会的・文化的な性別」という意味の「ジェンダー」だからね。行政では「社会的・文化的な性別」という意味でジェンダーという言葉を使っているのに、わざわざ「ジェンダーがセックスを規定する」という話をしだしたら混乱を招くのは目に見えているからこそ、わたしは「そんな話はジェンダーフリーの議論とは関係がないから、研究者だけが理解しておけばいい」と言ったわけ。
 要するに、ジェンダーフリーの議論で前提とされている「ジェンダー」は、学問的なレベルで前提とされている「ジェンダー」と同じではないわけです。「セックスを規定する」のは後者に属する話であって、前者の議論と混同するべきではない。混同しちゃった人がいるから、「その意味は反ジェンフリ派が曲解して言う意味とは違い、実際にはこうですよ」と簡単に説明すると同時に、「でも研究者以外には関係のない話ですけどね」と付け加えたわけです。
 まぁそんな混乱を招いた原因の一つに、大沢さんの中途半端な発言の数々があるというのは事実。だから、その点について「お前のせいで誤解して、変なことを言ってしまったぞ」と彼女を批判するならご自由に。でも、誤解していた点は受け入れて、今後おかしな言いがかりを言い続けるのはやめてね。こんなに丁寧に説明しているのに分からないと言うなら、もうあなたの頭脳のレベルを疑うよ。
 これ以外の部分は、全部これまでと何ら変わらない陰謀論とか被害妄想だけなのでスルーします。