Masao氏の主張は「ロングテール指向の共闘」という倒錯した評価

 少し前の話(といってもたったの1週間前後)になるけれど、essa さんが書かれたブログエントリ「ロングテールな弱者共闘のコストの話とバックラッシュにメディアアウトで対抗しててOKな業界の話」へのお返事。
 実はわたし、この記事は公開された直後に読んだのだけれど、ロングテールとかヘッドとかいうマーケティング用語のわたしの理解する使い方とはかなり違っているように思えたので、自分の理解がおかしいのかと思ってすぐには返事しなかった。でも用語の意味を詳しく調べ直して元の記事を読んだところ、わたしの用語理解がおかしいのではなく essa さんの論争解釈がおかしいのではないかと思うようになったので、どこがどうおかしいのか書こうと思う。
 当時の Masao さんとわたしや id:kleinbottle526 さんとのあいだの論争をまとめて、essa さんはこう書いている。

 それで私が思うのは、この対立は「共闘」という言葉に対する、「ヘッド指向」と「ロングテール指向」のスレ違いではないかと言うこと。
 つまり、id:Masao_hateさんは「ロングテール指向」の「共闘」を呼びかけているのに対し、id:kleinbottle526さんとid:macskaさんは「ヘッド指向」の「共闘」というとらえ方をして反発しているように見える。
 Web2.0におけるロングテールという概念のポイントは、「品揃えを増やすことのコストがない」ということなんだけど、弱者の為の運動が支援対象という品揃えを増やすことのコストに無頓着であることにid:kleinbottle526さんとid:macskaさんはいらだっているのではないだろうか。

 essa さんは「id:Masao_hateさんは『ロングテール指向』の『共闘』を呼びかけている」というが、わたしにはそうとは思えない。そもそも、わたしや id:kleinbottle526 さんが批判しているのは、Masao さんが「支援対象という品揃えを増やすことのコストに無頓着であること」などでは全然ない。そもそも「支援対象を増やすこと」にわたしは全く反対していないし、コストがかかるから駄目だという議論もしていない。
 Masao さんが批判されている理由はむしろ逆で、「品揃えを増やす」フリを見せておきながら、全ての問題を強引に「社会的規範の問題」に還元することで、実質的に社会運動における問題意識の品揃えを減らすことーーというより、id:Masao_hate さんにとって切実な部分だけを最優先して、その他の部分を切り捨てることーーをかれが主張していることが問題だ。つまり、Masao さんの「共闘」論はロングテール指向などではなく、左翼業界に昔からある恣意的な優先順位の押し付けに過ぎない。
 そうした優先順位の押し付けとしては、過去に「全ての抑圧は資本主義が原因だ」とか「全ての抑圧の根源には家父長制がある」などといった主張があり、それらは社会主義運動や女性運動内部の矛盾や不公正を隠蔽するはたらきをした。 Masao さんはその看板を「社会的規範による抑圧」に付け替えて同じことをやろうとしているに過ぎない。それはロングテールの正反対の、究極のヘッド指向なのでは。
 そして、「ジェンダーの規範による抑圧も、性別による抑圧も、性的指向による抑圧も、みな重要だ」と主張するわたしに対して、「品揃えを増やすことのコストに無頓着であることにいらだって」無茶な一元化を唱えているのはむしろ、Masao さんの方ではないかと思う。


 あと、以下はおまけ。

バックラッシュ!』は、そもそもの成り立ちからして、「ジェンダーフリーについての間違いを正す」という、非常に「メディアアウト」的色彩の濃い企画だと思うけど、更に「バックラッシュ」を激化させても自分たちの正しさだけにしがみついていればいいというのは、つまり、「正しさ」の定義が業界の中にあるってことは、マーケティングの人から見たら正直うらやましい話だと思う。

 そういう企画じゃありません。読んでからそういう印象を受けたというのであれば仕方がないですが、読まずに(あるいはウェブでごく一部だけ公開されているのを読んで)フェミニズムなり社会運動に対する偏見からそのように決めつけないで欲しいです。