上野「差異の政治学」における2002年加筆の問題

 なんの恨みがあるか分からないのだけれど Bruckner05 さんがまだ何かあるようです。前回「男女の画一化という意味でジェンダーレスという言葉を使うのであればそれはジェンダーフリーとは違うしわたしは反対だが、ジェンダーの自由化という意味でジェンダーレスという言葉を使うならそれこそジェンダーフリーの意味である」と示したことで、ジェンダーの自由化は良いのか悪いのかという生産的な方向に議論が進んでくれたらと思ったのだけれど、どうもそういう議論をする気はないようで、とにかくわたしの論文を全否定しなければ気が済まない様子。

林氏はこの論考(今年2月5日初出)で、ジェンダー論を成り立たせる決定的な証拠が「双子の症例」だとし、「双子の症例」が崩壊すればジェンダー論も崩壊する共倒れの関係にあると綿密に論証していた

 その「論証」とやらが、デタラメなんです。林さんの言う事をごく好意的に解釈するなら、「双子の症例」があったことはジェンダー概念が広まるのにとても役に立った、もし「双子の症例」がなければジェンダー概念が広まるにはもっと時間がかかったであろう、程度のことは言えるかもしれないけれど、せいぜいその程度の話。ジェンダー論は「双子の症例」とは無関係に成り立つし、「双子の症例」とジェンダー論が共倒れしたりはしない。
 なぜなら、マネーの言う「ジェンダー論」とは、性同一性障害の人の存在によって示される「生殖学的な性別と、性自認(のことを当時マネーはジェンダーと呼んでいた)が合致しないことがある」という事実だけをもって成り立つのだもの。「双子の症例」がどうなろうと、それによって性同一性障害の人の存在が消えてなくなるわけがないので、共倒れになるわけがない。

生得説の根拠は、「双子の症例」の嘘だけではない。新井康允氏は、動物実験に加えて先天性副腎過形成症、精巣性女性化症、5α還元酵素欠損症等の症例、幼児の遊び方のパターン、自由画の特徴分析などさまざまな証拠を挙げている(『脳の性差』ほか)。

 「先天性副腎過形成症、精巣性女性化症、5α還元酵素欠損症等の症例」については新井さんよりわたしの方が専門なので、もしわたしの書いたことが何かそれらの症例によって反論可能なら具体的に示していただきたい。ことによっては、新井さんの間違いが明らかになるかもしれない。

こちらを読んで「あれ?」と思わないだろうか? 性同一性障害者は身体的には正常人と同じで、性自認が異なるだけだから、性別の判定を間違えることはない。第二次性徴期の到来とは無関係に、気付いたときから常に性別違和がある、それが性同一性障害者だ。実は、引用文が言及しているのは半陰陽者なのである。

 これは明らかに Bruckner05 さんの誤読。性同一性障害の臨床では「性自認が異なる」ことを「性別の判定を間違えた」と表現するのだ。性同一性障害の人が受ける性別適合手術のことを「性別再判定手術」と呼ぶことがあるのも、これを受けてのもの。それから、現在では性同一性障害の人は「気付いたときから常に性別違和がある」とされているけれど、マネーの当時は第二次性徴期に気付くものとされていた。このあたりはただ単に Bruckner05 さんの認識不足。
 上野さんが「外性器についても同じことがいえる」というのは、その前に性自認について話していて、次は外性器の多様性を議論しようというわけだから、性自認において通常と違う例=性同一性障害について語っていることが逆に明らか。
 批判は良いのだけれど、このようにかなり強引に元の文献まで読み替えてわたしを批判されても困るのだけれど。

しかし半陰陽の臨床例からこんな一般化をするのは飛躍である。M・ダイアモンドが批判したように、半陰陽者は性器と同様、性自認も生まれつきどちらの性にも向かいうる能力があるが、遺伝子上正常な子供はそんな能力は持たない(『ブレンダ』P.62)。

 このあたりの議論はわたしの論文できちんと明記している。ダイアモンドは動物実験を根拠にそのように主張し、マネーの主張は性分化障害(半陰陽)のケースを根拠にしていた。かたや動物実験、かたや特殊例ということで、どちらの理論が人類全体に適用可能なのかと議論になっていたときに、マネーは自説の根拠として「双子の症例」を持ち出したのね。もちろんそれは結局間違いであったし、仮に「双子の症例」がマネーの目論みどうりになっていたとしてもたった一例で根拠となるのかという疑問もあるけれど、それらも全てわたしが既に書いていること。

以上から、上野氏は半陰陽を中心に論じつつ、性同一性障害と双子の症例にもそれとなく触れていたと解釈するのが正しい。よって(1)は間違いである。

 単なる誤読ということで。

さて、上野氏は「一部は反証された」と書くのみで、何が反証されたかは書いていない。しかし参照文献に指定された『セクシュアリティの心理学』を読めば、「双子の症例」の失敗が暴露されてマネー理論が反証された、と見るのが自然だろう。実際、『バックラッシュ!』掲載の上野千鶴子インタビューで、上野氏は「この『反証されたもの』には、『双子の症例』が含まれるわけですね?」というインタビュアーの質問に、素直に「はい」と答えている(同書p.416-417)。そうであれば、『差異の政治学』は「双子の症例」に言及すらしていない、という小山女史の指摘(1)は、疑問の余地なく間違いだということになる。

 はい、この点についてはインタビューを読んで衝撃を受けました。というのも、それ以外全く「双子の症例」について書かれていないのに、なぜ「双子の症例が失敗した」ことだけ書く必要があるのかと不思議に思ったのね。
 ところが実は、この部分は2002年版「差異の政治学」に加筆された部分で、当たり前だけれど「双子の症例」の失敗が一般社会に露呈する以前に書かれた1995年版「差異の政治学」には含まれていない。もちろんそれ以外の箇所で「双子の症例」にも触れられていないし、「双子の症例」がなければ成り立たない議論はひとつとして書かれていない。
 このことから分かるのは、まず1995年版「差異の政治学」では「双子の症例」に全く依存していないし、言及すらされていない。ところが『ブレンダと呼ばれた少年』が発表されて以降、上野さんはマネーについての記述において「かれの主張の一部は反証された」ということを付け加えた。もし「双子の症例」に依拠した議論を行っていたなら、そう付け加えるだけでは済まずに他の部分も書き換える必要があったはずだけれど、そうではないからただ単に「マネーは間違いもおかした」ということを書き足すだけで済んだわけ。
 上野さんは2002年版の「差異の政治学」において、かなり分かりにくい形(というか,普通これだけを読んでも決して分からないような形)でブレンダ論争を参照しているけれども、それは自説の根拠として挙げたわけではなくて、マネーには間違いもあった点を付け加えるだけだったことになる。つまり、彼女は「双子の症例に依拠した主張を一切しておらず、また双子の症例の失敗が露呈したあとにはその事について加筆している」のだから、「双子の症例に依拠した主張をし、双子の症例の失敗が露呈したにも拘らず何の責任もとっていない」という世界日報や Bruckner05 さんの批判とは正反対ということになる。
 せいぜい言えるのは、わたしが「まったく言及していない」と書いたのは(論文を書いた当時は気付きようがなかったけれども)間違いで、マネーにも間違いがあったという形で言及はしているというのが正しかった、というだけ。でも上野さんに関して言えば、これまでの世界日報や Bruckner05 さんの批判が完全に間違いであったことになる。
 ちなみに、2002年版の上野氏の「加筆」には他の部分にも見られるのだけれど、おそらく上野さん自身よく分かっていないまま書いたのではないかと思わせるに十分な内容で、一部は支離滅裂になっている。例えば「TS臨床が示すのは、身体的性別とまったく独立に性自認が成立すること、そしてそれが臨界期のあとも変わりうることであった」という文の意味を理解できるだろうか?
 臨界期というのはマネーの用語であり、生後最初の20ヶ月以内であれば性別の変更が可能であるという理論においてその20ヶ月以内のことを呼ぶ。すなわち、普通に「そしてそれが臨界期のあとも変わりうる」というのを読めば、マネーは20ヶ月以内においてしか性自認の変更はできないと言っていたが、実はそれが反証されて20ヶ月以降でも変更可能である、というように解釈できる。しかしそれでは、双子の症例の反証と正反対だ。双子の症例の失敗は、20ヶ月以内であっても自在に変更できないことが明らかになったのだからね。
 実は上野さんによると「それが臨界期のあとも変わりうる」というときの「それ」は「性自認」ではなく、「身体的性別」のことだという。それはつまり、外科手術をほどこせば身体は変わるよというだけの話であり、TS臨床を参照するまでもなく当たり前のこと。わたしは人を通して上野さんの真意を聞いてもらったから分かったのだけれど、普通絶対に上野さんの文章をそのように解釈できるわけがないし、そう解釈する人がいたらおかしい。
 要するに、上野さんは「ブレンダ」の件についてよく理解したわけではなく、何かマネーの間違いが証明されたくらいの理解であの加筆を行ったのではないか(さらに言うと、彼女は昨年の段階では『ブレンダと呼ばれた少年』すら読んでいなかった)。そのため、あの加筆はこうして支離滅裂な内容になってしまったと考えられる。
 そうしたところまで上野さんを擁護するつもりはないというか、いくらなんでも擁護しきれないのだけれど、少なくとも「双子の症例に何ら依拠していない」という点は事実。インタビューを読むまでは「一部反証された」の部分が双子の症例を指すとは判断のしようがなく(だって、20ヶ月以降も変更可能、というのは「双子の症例」の教訓とは正反対だもの)、その点「まったく言及していない」というのは間違いだったけれども、その他の論旨には全く影響しません。
 Bruckner05 さんは「言及している」ということを示すことを自己目的化してしまい、そもそもなぜ言及が問題だったのか忘れている様子。言及が問題だとすると、「双子の症例」の失敗が露呈する以前にそれに依拠した主張を行い、以降もそれを撤回しない場合において問題になるわけだけれど、上野さんの場合は逆に失敗が露呈するまでは一切言及しておらず、以降「反証された」という形で言及している(とは認め難いけど、そういう意図があったらしい)わけだから、何ら批判されるいわれはない。
 というわけで、Bruckner05 さん、くだらない言いがかりはいい加減にしてくださいね。