半分以上寝言に見えるけど…

 id:moyasi45 さんの「バックラッシュという反省会へのコメント。

差別は存在するのに差別より先にジェンダーを失ったことによって。
殺されるのは女性ではなくあなたではないのか?という疑問に答えることが出来なくなったということも問題だった。
(これは山口智美が自著とバーバラヒューストンとのインタビューで触れている。)

 うーん、どこでこんな記述があるんだろう。とっても不思議。ヒューストンさんと一緒にインタビューを受けたマーティンさんは、現実の社会において差別が存在するのに「教育においては絶対に男女で違った扱いをしてはいけない」という立場を取るべきではないと言っているけど、「殺されるのは女性ではなくあなたではないのか?」なんて言っていないしなぁ。もちろん、「絶対に男女で違った扱いをしてはいけない」という立場を取ったとしても「わたしを殺すな」ということは言えるわけで、もし言えなくなるとすると逆に「女性を殺すな」ということではないのかな。

 興味深いのはバーバラヒューストンはジェンダーフリーという言葉がホモセクシャルなどの同性愛者に使われることを「危険だ。」と発言している。

 これも言ってないよぉ。「危険」という言葉はたしかに何度か出てくるけれど、同性愛者が使うことが危険だとは言ってない。全然関係ない文脈で、ジェンダーフリーが「教育においては絶対に男女で違った扱いをしてはいけない」という立場であるとしたら危険と言っているだけ。

 ジェンダーフリーは性差を無くすことではなく、あくまで男女が共存する社会の理想として存在しているのであってその文脈においてのみ使用されるべきだという意味だろうが。

 いや、それは思いっきり誤読です。
 ヒューストン&マーティンの論理を理解するには、かれらが教育学者であることを考えなくちゃいけない。つまり、かれらは社会全体のあり方ではなく、あくまで教育のあり方の問題として「ジェンダーフリー教育は良いか悪いか」を考えているわけ。そして、かれらが「ジェンダーフリー教育は良くない」と結論した理由は、それが形式的平等に過ぎないからです。
 もし社会全体が一斉にあらゆる差別をやめるのであれば話は別だけれど、実際にはそんなわけがない。男性中心主義社会において男の子と女の子は現に違った体験をしているのに、教育だけにおいて男女まったく同じように扱ってもまったくもって不十分というのがかれらの考えなのね。だから、かれらはジェンダーフリーではなく「ジェンダーセンシティヴ」ーー社会における男の子と女の子それぞれに特有の体験に配慮するーー教育を提唱するわけです。
 「あくまで男女が共存する社会の理想として〜」はおそらく moyasi45 さん自身の考えなのだろうけれど、そんなに無造作に投影しちゃダメよ。

 予算の裏側についても触れられていたが、10兆円もかけて何も出来ないのか?という疑問には「10兆円もかけていないから」ではなく、「後○兆円で筋道をつける」と言うべきだ。

 いやだからですね、10兆円が間違いで正しくは8兆円でしたとか5兆円でしたとかいうレベルなら、それでもいいんですよ。でも現実問題としては、桁が2つくらい間違っている。1万円使ったのと100万円使ったのじゃ同じレベルの議論はできないでしょ。まずそのバカバカしい数字を否定するところからはじめなくちゃどうしようもないわけ。
 そもそも、「10兆円かけて何もできないのか?」という批判は見た事がない。「10兆円も使ってこんなに酷いことをやっている」みたいな批判ならよく見るけどね。

 「ブレンダと呼ばれた少年」について、私ははっきりジェンダフリーの弊害であると思う

 思うって、「ブレンダ」症例はジェンダーフリーより20年くらい古いですよ。順序として無理だって。「ブレンダと呼ばれた少年」がジェンダーフリーの根拠となったという妄言は聞いた事があるけれど、その逆に「ブレンダ」症例がジェンダーフリーの弊害であるという説ははじめて見ました。

 ジェンダーフリー論者は恐らく、もし、この実験が成功すればこれを大々的に宣伝するつもりだったに違いないからだ。

 どう宣伝になるのかよく分からないのだけれど、まぁいっか。

 著者小川エミはその誘惑を捨て切れていないだろう。幾分混乱した記述が見られる。

 性自認は自在に操作できるとしたマネー説は間違いだけれども、逆に生まれた時点で決定されているという説も間違いだというのが、現在わかっている限りの科学的根拠から言えること。そういう複雑な話は「混乱」にしか見えないんだろうな、この人にとっては。勝手に人の思想を決めつけないで欲しいけど。

 どちらにせよあの実験は悲劇を生み、この結果という現実は直視しなければならない

 はい、しかしどうすれば現実を直視したことになるのかとわたしの論文は問うているわけです。
 また、現実はブレンダ症例だけではない。科学的事実について推論を述べるなら、たった1つのケースだけではなく類似した多数のケースを参考にすべき。

 本心はともかく、ネット批判するだけではなく利用してやろうと考えなければ。

 はい、キャンペーンブログ作って利用しまくって、類書では抜群の部数売りました。てゆーか、ネットと言えばキーワード集の「インターネット/サイバーカスケード」くらいしか思いつかないけど、もしあれをネット批判だと思ったとしたら、読解力なさすぎ。