訂正:moyasi45 さんの約半分は「厳しさ」でした。

 id:moyasi45 さんからお返事がある。あっ、ブログ名が(今日だけらしいけど)「寝言80%」になってる! 残り20%はやさしさだそうだ。
 ついでに成分分析してみたら以下のようになった。

moyasi45の45%は厳しさで出来ています。
moyasi45の36%は雪の結晶で出来ています。
moyasi45の9%は食塩で出来ています。
moyasi45の6%はマイナスイオンで出来ています。
moyasi45の2%は小麦粉で出来ています。
moyasi45の1%は媚びで出来ています。
moyasi45の1%は心の壁で出来ています。

 というわけで、「半分寝言」は間違い。正確には半分近くは厳しさでした。
 で、以下は本文へのお応え。

 ジェンダーフリーという用語がジェンダーレスレスとが混同されている日本社会で、「人格を抑圧されたのは女性であるあなたではなく、あなた個人の問題でしょ?」という問いに答えられなくなっている、それは問題だと私は受け取りました。

 分かりにくい要約ですが、要するに「殺されるのは女性ではなくあなたではないのか?という疑問」を提示しているのはヒューストンやマーティンではなくて社会の側なのね。だったら了解。

次は引用しなければなりません、(著作権に触れなければいいけど。)
222P


Y(山口)−トランスジェンダーレズビアン、ゲイ、そしてバイセクシャルの運動家のなかに、ジェンダーフリーという考え方に賛成している人もいるのですが?
M(ジェーンマーティン)−とてもあぶないと思います。
以下省略


この引用で間違いがあるでしょうか?

 省略しすぎだよ!(笑)
 以下に、省略した部分をもう少し引用。

Y トランスジェンダーレズビアン、ゲイ、そしてバイセクシュアルなどの運動家のなかに、ジェンダー・フリーという考え方に賛成している人もいるのですが。
M とても危ないと思います。
Y どうして危ないのですか。
M いま現在の私たちの社会がジェンダー平等な社会ではなく、いまだに男中心社会なわけです。こうした状況のなかでジェンダーを無視してしまったら、どうやって女性にとってよくなるように、ものごとを変えていくことができるのでしょうか?
 さきほどのご質問についていえば、教育学の分野でも、女性について語ることはむずかしくなっています。私の同業者のひとりは、とても名の知れた大学での仕事を得る事ができませんでした。その理由については知らないのですが、彼女の研究は女性についてのものでした。そして、選考のためのインタビューのとき、彼女の研究が女性についてのものだということについて、挑戦的な質問があったということです。その人たちはフェミニストで、別にアンチフェミニストというわけではありませんでした。どうやって彼女が答えたのか、どのような反応を受けたのか、ということまでは知りません。でも、彼女の研究について、敵対的な感じだったということは知っています。

 これを読んで「バーバラヒューストンはジェンダーフリーという言葉がホモセクシャルなどの同性愛者に使われることを『危険だ』と発言している」と解釈するのは間違い。ヒューストンは同性愛者がジェンダーフリーという言葉を使うのが危険だと言っているのではなく、ジェンダーフリーという概念自体が危険だと言っているわけ。その理由は前回書いた通り。

端的に教育に固執したのは正しい道だったのでしょうか?という疑問です。

 あのですね、ヒューストンとマーティンは教育学者なんです。
 教育学者というのは、教育についてあれこれ研究する人なんです。
 教育学者をつかまえて、教育以外のことを聞くべきだとでも言うわけ?

私があの箇所でジェンダフリーという言葉を使ったのは確かに私の誤りです、誤解を与える記述で申し訳ありません。

 その前に「小川エミ」というところが思い切り間違えているわけですが(笑)

人体に対する理解が足りなかったといえばそれまでですが、この行為と意図に留保の余地は無いはずです。

 はい、そういう趣旨の論文ですが。

そういう意味で、現代においてそこに留保という意味をおいてしまうジェンダー論者に私は疑問を持ちますし、そういう意味でそういう論者は男女平等に弊害だと考えています。

 人道的に間違ったことをした学者だから、かれの理論を全面否定しなければいけないというのであれば、政治的な目的のために科学的な知識を抑圧しろということになってしまいます。むしろ逆に、仮にマネーの理論が正しかったとしても、それでもかれの行為は人道的に許されないことだった、というのがわたしの論旨です。そのうえで、マネーが主張した性自認の出生後説は間違いだけれども、生得説も同じく間違いであるという科学的知識は直視すべきです。

もし成功していれば現代のジェンダフリー論者(この文脈では小川エミさん)はこの実験結果を利用したに違いないと感じたからです。

 もしマネーの理論が実験によって裏付けられていたなら、その結果を何らかのかたちで議論で引用することはあるかもしれません。が、それでもマネーの行為を人道的に認めるかどうかとは別問題。仮にかれの理論が正しかったとしてもかれの行為は正当化されないと論文の中ではっきり書いているのに、どうしてそういう言いがかりができるのか。

こういうむやみに分厚い本を短時間で読みきることができるのは幸せだ。
そういう体力があると自認できるからだ。

 なんて恥ずかしいこと言わずに、時間をかけてじっくり読んでみてはいかがでしょうか。