ES細胞研究には「反対」よりも「監視」もしくは「条件付与」が必要

 ひびのまことさんのエントリ「FtM の卵巣が狙われている?」について、いくつかコメント。
 まず第一に言っておくべきこととして、政府の議論の中で勝手に「FTM トランスセクシュアルの人から摘出される卵巣」の再利用が議論されている件について、当事者をまじえて議論すべきだという点には同感。インフォームドコンセントというのはただ単に紙を渡してサインさせればいいってものじゃない。
 それを前提として、ひびのさんが判断の材料とされている「優生思想を問うネットワーク」のES細胞研究についての記述は、わたしが判断できる限り間違いではないものの危機感や義憤を煽るような書き方になっていて一面的だと思う。
 ES細胞というのはそもそも embryonic stem cell のことで、embryonic(胚)ではない stem cell(幹細胞)の研究なら何十年も前から行われており、既に確立した治療法も生まれている。白血病患者などに対する骨髄移植治療(造血幹細胞移植)がそれ。そうした既存の幹細胞研究とは別にES細胞研究の是非が医療倫理の問題として議論されるのは、他の部分の細胞であれば生きた人間からごく一部だけ採取するだけ(命を奪わない)なのに対し、ES細胞の場合は子宮に残しておけば胎児に成長する胚を1つ壊す(命を奪う)必要があるから。(と思ったら、昨日出たばかりの Nature の記事によるとついに胚を壊さずにES細胞を抽出する技術が考案された様子。ホントかな?)
 ES細胞研究/医療の是非をめぐる論点として、ひびのさんと「優生思想を問うネットワーク」の記述から順に書き出していきたい。まずは「優生思想を問うネットワーク」から。

子宮に戻すと、提供者と同じ遺伝的性質の「クローン人間」が誕生するおそれがありますが、

 おそれというか、誕生したら何が悪いんでしょう。遺伝的性質を共有している一卵性双生児だっているわけだし、どうして「クローン人間」というだけでそんなにパニックになるんだろうか。ほかの人間と違った人間は生まれて来てはいけないという思想こそが「優生思想」なんじゃなかったの?

このクローン胚から作成したES細胞を用いれば、拒絶反応を起こさない本人専用の移植用組織・臓器を作ることができるため、再生医療の推進のために、早々にヒトクローン胚の作成・利用をはじめようという動きが強まっています。

 これはかなり先の話ですね。現実には、しばらくのあいだはES細胞そのものを治療に使うのではなくて、ES細胞を医学研究に使うことで疾患のメカニズムを解明したり新薬を開発したりするのに使われるはず。その次が移植用細胞の培養と注入医療だけれど、クローンを応用して本人専用の組織が作られるというのはさらにもっと先のことでしょ。

しかしながら、ES細胞は人の胚を壊してはじめて作られるものです。人の受精卵を「モノ」のように研究材料として使い、産業資源として大量生産につなげ、特許や利潤を得ようというのです。

 人の胚を壊すことの倫理についてはいろいろ意見があると思うけれども、わたしは少なくとも絶対に認められないほどの悪ではないと思う。日本では事実上妊娠中絶が合法的に認められているけれども、中絶される胎児よりずっと前の段階の、臓器どころか筋肉も血管も神経も持たない受精卵や胚を保護すべき理由はそれほど大きくないはず。ES細胞研究によってたくさんの意識も感情もある人間の命が救われる可能性があるのだから、わたしはそちらの方を取りたい。もちろん実際にそうした成果が得られるのはしばらく後の話だし、母体への負担という問題も別にあることは確かだけどね。
 特許や利潤という点については、まったく別問題。しかし、もしそんなに利潤が出るのであれば、それはつまりES細胞研究によって画期的な治療法が続々開発され、それが人々に広く望まれることを意味しているはず。多少バイオ企業が儲けを溜め込んだとしても、新たな治療法によって人々がより幸せに生きられるようになるならそれでいいじゃないかという気もする。まぁ利益はともかく特許の囲い込みは確かに懸念されるけど、それはES細胞研究の問題点じゃなくて特許制度の問題点だと思うな。

また、ヒトES細胞やヒトクローン胚を作成するためには、多くの受精卵や未受精卵(卵子)を必要としますが、これらは女性に多大の負担を負わせて取り出されるものです。女性らも又、これら胚や卵子の供給源として、手段や道具として扱われる可能性は大きいと考えざるをえません。

 ヒトクローン胚を作るには卵子が必要だけれども、ES細胞は培養されることになるのでES細胞研究にそんなに大量の受精卵を必要とはしないはず。もちろん女性がその供給源として卵子発生装置のように扱われてはいけないという懸念は正しいけれども、そんなに大勢の女性の協力が必要なわけではない。というか、不妊治療のために摘出されたにも関わらず冷凍保存されたまま使われていない受精卵がすでに数十万という単位で存在していて、不要となったものから焼却処分されているという現実があるわけだし。また、FTM の人から摘出した卵巣を再利用というのは、用途がきちんと説明されて本人の意志が最大限に尊重される限りにおいて、そんなに悪い話ではないんではないかと。卵巣もしくは受精卵提供に同意した人には、それによって可能となる医療を優先的に受けられる権利を与えれば良い。

その上、病気や「障害」に対して、人工的に作った細胞や組織を移植することで機能を再生し治療しようとする再生医療の考え方、あるいはそれを福音としてことさら強調することによって、障害者は治療すべき存在に貶められ、病気や「障害」とともに社会の中で当たり前に暮らすことがさらに困難になるのではないでしょうか。

 これは当然の懸念。再生医療の有無にかかわらず、障害を持って生きることが困難な社会状況は改善しなくちゃいけない。でも現実に社会の偏見や無理解ではなく、アルツハイマー症や脊髄損傷や糖尿病や癌といった状態そのものに苦しんでいる人たちを救うことができるのならそれは否定はできない。もちろん医学の進歩が障害を「治療すべき対象」と決めつけるような社会状況を助長することはあり得るわけで、それについて注意していくというのは大切だけれど、医学の進歩自体に反対する理由にはならないと思う。
 最後に、ひびのさんから追加の論点。

また、日本政府の方針が (...) などから見るとき、やはり私には、「ES細胞」を使った研究それ自体が、公益を個人の意志よりも優先する医療/女性差別/優生思想に基づいて進められるのではないかという思いが払拭できません。

 日本政府の方針は信頼できないし、医療が女性差別や優生思想を内部に抱えているちうのは確かだと思う。でもだからといってES細胞研究をやめてしまうのは非常にもったいないことだと思う。アルツハイマー症にかかった人が人間として尊厳を持って扱われるべきだというのは当然としたうえで、愛する家族のことすらだんだん忘れていくことの恐怖や忘れ去られる側の家族の悲しみを医療が解決できる可能性があるのであれば、どうしてそれを「個人より社会優先だ」と非難できるだろうか。パーキンソン症で身体の自由を失った人が適切な介護を受ける権利を当然のものとしたうえで、再び自由に体を動かしてハイキングでも水泳でもできるようになる可能性があるのであればーーそして当人がそれを熱望するのであればーーそれを「優生思想」と決めつけられるだろうか。
 キリスト教原理主義を背景とした妊娠中絶反対派が多い米国ですら、ES細胞研究は大多数の支持を受けている。それは、誰でも身近に一人や二人はES細胞研究によって救われるかもしれない友人や家族を持っているからだ。もちろんそうした先端医療がネオ優生思想に転じないような監視はずっと続けて行くべきだけれども、だからといってES細胞研究そのものに反対することはないのではないかと思う。(まぁ「優生思想を問うネットワーク」もひびのさんもはっきり反対と言っているわけじゃないけれど。)
 戦略的に言っても、日本のようにキリスト教的倫理が広く共有されていない社会で、障害者団体や女性団体だけがいくら反対しても押し切られるのが目に見えている。ここは漠然と反対論を主張するよりも、どのような条件においてならES細胞研究が認められるのか、どういう場合は認められないのかという方向に議論を広げた方が有効なんじゃないかと思う。