非フェミナチ認定安全宣言

 わたしが先月書いた「コミットメントを欠く『フェミニズムへの助言』」を元としたコピペが「フェミナチ」「バカ女の迷言」の例としてさまざまなところに貼られている様子。しかも、わたしの名前やサイトの URL を挙げていながら、中身を大幅に改竄するという大胆さ。しかしリンク先すらもチェックせずにそのまま信じ込んでバッシングに加担している人もいるみたいなので、そのコピペをここで検証してみる。

元記事 コピペ
フェミニズムへの助言」がフェミニズムに何らコミットしていない男性によって発されるとき、それがどこまでフェミニズム本来の目的ーー例えば女性差別の撤廃ーーを達成するための助言であり、どこからが女性差別の存在によって男性が受けている既得権益を温存したいという隠れた、時には意識すらされていない動機と目的に基づくものであるのか、当人を含めて誰も判断できない。 「フェミへの助言」がフェミにコミットしてない男によって発されるとき、どこまでフェミの目的(女差別撤廃)を達成するための助言で、どこから男が受けてる既得権益を温存したいという動機に基づくか判断できない。
中立な傍観者どころか、フェミニズムによって既得権益を脅かされるかもしれないーーそのため、フェミニズムを脱線させられることなら脱線させたいという動機を持つかもしれないーー立場の人の助言を素直に受け取れという方がおかしい。 フェミに既得権益を脅かされるーーそのため、フェミを脱線させられるなら脱線させたいという動機を持つーー立場の助言を受け取れという方がおかしい。
フェミニズムの大前提には「わたしたちの住む社会においては男性と女性が対等に扱われていない、男性が中心化されている」という現状認識があるわけで、逆に言うと「既に社会において男性と女性が完全に平等に扱われている」と認識している人がフェミニストになる理由は一切ない。 フェミの前提に「社会において対等に扱われていない、男が中心化されている」という認識がある。
フェミニズムの運動は社会における男女の平等を主張しつつ、現実の政治的行動において必ずしも女性の問題と男性の問題を対等に扱うということはしない。それは運動内において「男性のマージナリティ(周縁性)」が「フェミニズムの条件」(フェミニズムにおいて男性は周縁化されるべき)だからなのではなく、社会における「男性のセントラリティ(中心性)」という現状認識がフェミニズムの大前提だから。 フェミは男女平等を主張しつつ、現実の政治的行動において女男の問題を対等に扱うことはしない。それは社会における「男のセントラリティ(中心性)」という認識が前提だ。
わたしはフェミニズムが女性だけのものだとも、女性だけを救済するものだとも思わないけれども、男性と女性とでは同じようにフェミニズムに関わることはできないと思う。 男女で同じようにフェミに関わることはできない。
男性と女性ではフェミニズムが問題とするジェンダーの権力構造における立ち位置が違うのだから、男性がフェミニズムのあり方についてあれこれ意見を言うのであれば加藤氏が言うような自己観察的な「警戒」が決定的に必要になる。 男女でジェンダー権力構造における立ち位置が違うから、男がフェミに意見を言うのであれば自己観察的な警戒が必要になる。
それは男性を周縁化しているわけではなくて、男性が中心に居座っている(あるいは否応もなく居座わらされている)ことへの倫理的な態度を求めているのね。 それは、男が中心に居座っていることへの倫理的態度。
上野千鶴子氏や kmizusawa さんの言う「フェミニズムには男性を救済する義理はない」という発言を、ただ単に「女性問題は女性が、男性問題は男性がやるべきだ」という自己責任・自己救済論として解釈するのは間違い。かれらの発言にはその大前提として「社会における男性のセントラリティ」という現状認識があるから、周縁化された集団の地位向上を目指す運動であるフェミニズムは、中心にいる集団への配慮を求められるいわれはないと言っているわけ。 「フェミに男救済する義理はない」という発言を「女問題は女が、男問題は男がやるべき」という自己責任・自己救済と解釈するのは間違い。前提として「社会における男のセントラリティ」という現状認識があるから、周縁集団の地位向上運動であるフェミは、中心集団への配慮を求められるいわれはない。
つまり、フェミニズムに「男性を救済する」義理がないのは、フェミニズムが「女性」のことだけを優先する運動だからなのではなく、「男性」という集団が中心化されているからだ。 つまり、フェミに男救済する義理がないのは、男集団が中心化されてるから。
フェミニズムは「弱者男性」に配慮しろという議論をわたしは認めないけれども、パートタイム労働者・派遣労働者・日雇い労働者・家庭内労働者など不安定かつ低収入で働いている人たちーーその多くは女性ーーやその他の社会的弱者に配慮し、かれらを積極的に支援する義務なら、あると思っている。 フェミは「弱者男」に配慮しろという議論を認めないけど、パート・派遣・日雇・家庭内労働など不安定かつ低収入で働いている女性や他の社会的弱者に配慮し、支援する義務ならある。
そうした立場から、わたしは一貫して「『弱者』一般の支援をことごとく否定し、『弱者男性』の救済だけをことさら主張する一部論者」を批判してきた。 そうした立場から「『弱者』一般の支援を否定し、『弱者男』の救済だけを主張する論者」を批判した。
それでも、まだ「弱者男性」を救済せよと主張する人はマシな方だ。「そんなこと知るか」と反論すればそれで済むもの。より問題なのは、聞かれてもいないのにフェミニズムに「助言」したがる男性。 「弱者男」を救済せよと主張する人はマシだ。「そんなこと知るか」と反論すれば済む。問題は、フェミに助言したがる男。
フェミニズムにコミットしている男性論者にすら「ひそかな領有への欲望」の影が見え隠れするくらいなのに、フェミニズムにコミットすらしていないーー従って、フェミニズムが失敗して潰れようがなんとも思わないーー男性が生半可以下の知識を元に「助言」を寄せてきても、懐疑の目で見られるのは当たり前だ。 フェミにコミットしている男にすら「ひそかな領有の欲望」の影が見えるのに、コミットしていない男が助言を寄せても、懐疑の目で見る。
しかもその「助言」の内容が、男性の側に利益誘導するようなものであった場合、もはやマトモに取り合ってもらえるはずがない。 しかも内容が、男に利益誘導するものであった場合、取り合ってもらえるはずがない。
マトモに取り合う価値のない発言をマトモな発言であるかのように扱うことは、相手を増長させるし、それ自体フェミニズムにとって後退。だからこそ、わたしはわざと Masao 氏の「助言」を「あなたに助言されるいわれはない」と撥ね除けたのだ。そうすることで、フェミニズムにコミットすらしていない男性が好き勝手にフェミニズムの戦略をあれこれ指図しても良いのだという傲慢さに楔を打ち込むのがわたしの狙い。 取り合う価値のない発言をマトモのように扱うことは、相手を増長させ、フェミにとって後退だから「助言されるいわれはない」と撥ね除けた。


 こうして見ると分かる通り、一見わたしの主張を要約しているようでありながら、細かいが重要な部分がことごとく男性の反発を呼ぶように改竄されている。例えば、「フェミニズムを脱線させたいという動機を持つ『かもしれない』」と書いた部分が、男性はみなそういう動機を持つと決めつけているかのように要約されていたり、男性が中心に「否応もなく居座らされている」という部分を削って「居座っている」としたり。要約するにしても、もっと普通に要約しようと思えばできたはず。
 思うに、そういう改竄でもしなければわたしの発言を「フェミナチ」「バカ」と非難できなかったというわけだから、このコピペをはじめた人にとってわたしの書いた元の記事は非が付けられなかったということだと思う。もしもともとの記事がフェミナチでバカだと本気で思うなら、わざわざ改竄してコピペする必要ないもんね。
 というわけで、フェミナチ監視中のみなさん、ここはもう安全ですよー♪