受精卵選別によって『異常』を選ぶ親たち

 やや古い記事になるけれど、HealthLawProf Blog 経由で The New York Times 紙の「 Wanting Babies Like Themselves, Some Parents Choose Genetic Defects」(12/05/2006) を読む。ろうや極度の低身長など、一般には「障害」「異常」とされる症状を持つ親が、生殖医療技術を使って意図的に同じ症状を持つ子どもを選択的に産むケースが少数ながらあるという話。
 ここでいう生殖医療技術というのは着床前遺伝子診断 preimplantation genetic diagnosis のことで、受精卵が子宮に着床する前に染色体や遺伝子の以上の有無を調べるもの。中絶と違い、妊娠する前に全ては行なわれる。これは染色体異常のために妊娠の維持が難しい受精卵をあらかじめ判定するためにも使われるが、ダウン症などの「異常」があると分かった受精卵を妊娠する前の時点で排除することにも使われる。しかし、わざわざ「異常」のある子どもを産むためにこの技術が使われることになるとは、それを開発した人たちの誰も予想していなかったはず。
 記事によると、着床前遺伝子診断を行なう全国190カ所のクリニックを調査したところ、こうした要求に応えたことがあると回答したのは全体の3%に過ぎなかった。また、これらのクリニックで働く人たちの大多数はこうした要求には従うべきではないと考えている。かれらの考えでは、着床前遺伝子診断は「異常」を予防するーーこの場合、その受精卵を着床させないということだがーーために使われるべきであり、それ以外の目的で使われるべきではないということ。
 専門家がそう言う一方、自分の子どもには自分と同じアイデンティティを持って欲しいと考える親の気持ちも理解できる。特にろう者の一部は、「障害者」としてではなく手話を使う言語的少数者として独自の交流圏・文化圏を築いていることもあり、自分の子どもにも同じ文化圏で育って欲しいと考えるのはよく分かる(ただし、わたしの理解する限り、ろう者文化は手話と音声言語の両方を話すバイリンガルを排除はしないはず)。
 では、家族にろう者がいないにも関わらず、親がろうの子どもを選択することは許されるか? 小人症の場合はどうか? これらが親の権利として認められるかというと、かなり怪しいような気がする。しかし逆に、ろう者の親が「自分の子どもにはろうで生まれて欲しくない」と受精卵選別を希望した場合、それに反対することは難しい。というより、積極的に賛成する人がほとんどだろう。
 つまり、わたしの直感はここで「親の意志でろうの子どもを生むには特別の理由が必要、逆に親の意志で聴者の子どもを生むのは理由がいらない」というダブルスタンダードに陥っている。そして、それがダブルスタンダードでないかと言われてみれば、わたしにはそれを正当化するだけの論理を思いつかない。単にわたし個人の偏見的な価値観ではないかと言われればそれまでだ。
 なんだか最近、医療倫理の話をしだすと直感と論理が衝突して結論が出ないことばかりのような気がする。やっぱり「どんな理由があろうとも全面的に選別禁止」くらいのポジションを取らないといけないのかなぁ…