自衛官に対する職業差別?ほか uumin3 さんへのお返事

 id:uumin3:20070327 へのお返事。

macskaさんが書かれたこの文を最初に読んでいれば思いつき難かったことかもしれませんが、先の文とあわせて考えますと、ここにはやはり「どこに問題を捉えるか」という点が難題として残っているように思われます。「社会構造と共鳴し循環するようなかたちで不平等」があると捉えられる「社会的属性」をどれとどれに置くのかという点です。
 むしろ明々白々に認められているようなもの(対象)はいいのですが、今現在問題視されていないもの、あるいはこれから声があがってくるものについてはコンセンサスの形成から為されなければなりません。どれが差別かを認定するのがそれほど楽な作業とは思えないのです。

 「どれが差別かを認定するのがそれほど楽な作業とは思えない」というのは、その通り。これとこれが差別だと宣言してしまえば良いようなものではなく、「こんな扱いは許せない!」と感じた側が、そうとは思わない側を説得するしかないでしょ。差別された側がそういうコストを負担させられるのは不当だけど、他にいい方法が思いつかない。せいぜい、「差別された当事者ではないけれど差別に気づいた人は、差別された当事者に不当にコストが押しつけられないように、率先してコストを負担しましょう」と呼びかけるくらいかな。
 で、本題は以下。

たとえばこれは私が以前紹介したものなのですが、八重山毎日新聞社の記事です。

市民会館使用許可で抗議/自衛隊音楽会で九条の会
 「九条の会やえやま」の森田孫榮共同代表らメンバー6人は28日夕、石垣市役所で大浜長照市長に会い、自衛隊が来月10日に開く音楽会のために市民会館の使用を許可したことに抗議し、今後、市の施設などを自衛隊に使用させないよう要請した。 (以下略)

 これは私には差別に思えてなりません。自衛隊イラク派遣を個々人がどう思おうがそれは別の次元の話。「今後、市の施設などを自衛隊に使用させない」でと要請する人たちは、あからさまに法を、そして日本国憲法を蔑ろにしているとしか思えません。(第一四条第一項「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」)

 これだけど、わたしは差別だとは全然思わない。もし自衛官たちがプライベートで集まって、一市民として音楽会を開こうとして抗議を受けたのなら話は別だけどね。自衛隊という国の組織に市民会館を使わせるなというのは、それが妥当かどうか議論の余地はあると思うけど、少なくとも差別の問題ではない。
 これを読んで思い出したのは、米国でイラク戦争に賛成する側の人たちが、反戦派に向かって言っている「お前たちは若い兵士たちが最前線で危険な目にあっているというのに、なぜかれらを見捨てるんだ」という言いがかり。反戦派の人たちはもちろん、兵士たちが危険な目にあっていることを痛感するからこそ、できるだけ早く家に帰してやりたいと思っているのにね。
 自衛隊という組織についての意見を個々の自衛官に対する意見だとすり替えることはこれと同じで、問題のある論法だと思う。市民会館を使わせるかどうかで騒いでいるうちはいいけど、この論理を徹底するなら、いざ戦争が起きたら反戦を主張することすら兵士に対する批判や侮辱だとされかねないのだもの。
 ただ、そういう個別の例はともかく、わたしの「差別」定義が一般社会のそれとは違っているというのは、もちろんその通り。わたしは自分の定義が「より正しい」とは思わないけれど、社会的不公正の是正を目指すのであれば「より有用」だとは思っているので、できればわたしの定義に近い「差別」理解がもっと一般化して欲しいと思っている。例えば、uumin3 さんはこんなことを言うのだけれど、

また、どれが差別にあたるかというコンセンサスが取れたとしても、その認定はいわゆる平等という建前を崩した「卑下される弱者としての認定」にもなりかねない点が危惧されます。当該の「社会的属性」をお持ちの方でも、そう言って欲しくない・扱われたくないという人たちはでてくるようにも思いますし、一つの可能性として「誰も強く騒がなかったため何となく解消した」というケースが成立しなくなるんです(これを書いているとき私の頭には「沖縄人差別」があります。表立って社会問題化しなかったのですが、今これがあるとも思えません)。

 ここで「沖縄人差別」が「あるとも思えない」というのは、差別というものを個人の内面に限って解釈しているからでしょ? でも、日本を守るという口実の米軍基地(面積)の大半が沖縄にあるということは、差別でないはずがないわけ。ていうか、内面的な蔑視や偏見の問題に限っても、実際にわたしが沖縄の人から聞いた話では、いろいろ本土出身者から酷いことを言われたって聞いているけどね。
 もちろん、uumin3 さん自身は、おそらく沖縄人に対する蔑視や偏見はほとんど持っていないのだと思う。だから、実際に酷い差別発言を浴びせられている人がいるにも関わらず、uumin3 さんの認識の中では「今これがあるとも思えない」んじゃないかな。でも、差別の本体はそういう個々の意識や発言ではなく社会的な構造だというわたしの主張が頭の中にあったのであれば、米軍基地の問題くらいすぐに思い当たったんじゃないかと思うんだけど、どうして「今これがあるとも思えません」って言えてしまったのか、ちょっと不思議。

最後にもう一点挙げれば、macskaさんは、その問題解決に関わろうとする差別を一つの社会システム内の問題に限定されているように見えます。そしておそらくそれは社会システム間の差別、国家間の民族主義レイシズムを射程に入れておられないのでしょう(それが国内化すれば扱う射程に入るのですが)。

 えーとこれは、社会システムは一つじゃないし、社会=国家でもないと思うんだけどね。というか、国家と民族と人種はそれぞれ違うし、民族主義レイシズムは別だし、ちょっと言いたいことが分からないや。もうちょっと具体例があれば助かるな。まぁ、「〜に見える」だから、わたしが出した例が国内の例だけに偏っていたというだけの話かもしれないけど。


 あと、関係ないけどブックマークから。

# 2007年03月27日 j05ex 典型的な本質論。「差別がなければないほど理想の社会」などと言い切れるようなシンプルな社会ではもはやない。被差別者の方こそ差別者を卑しい存在だと思う視点から脱却できていない。

 これって、単に被差別者や反差別運動に対して自分が普段から思っていることを、わたしのエントリへのブックマークとして書いているだけじゃないかなぁ。わたしは「差別がなければないほど理想の社会」とは言っていないし、ある種の差別においては差別者は市場において自衛の必要上から合理的にふるまっているだけという可能性を指摘することで、「差別者は卑しい」的な本質論を退けたつもりなんだけど。
 そう思うと、逆にこんな事を言う人もいる。

# 2007年03月26日 NOV1975 差別 偏見による差別とは既往歴によって保険料が上がるような話か(例えばIQの低い人に子供を作らせないのは合理的?)。偏見による差別に対するスタンスがもうちょっと聞きたい。これだと容認しているようにも。

 うーん、どう読めば容認しているように読めるんだろうか。
 基本的に、いくら「偏見型差別」が行為主体にとって合理的であっても、各個人や企業がみな合理的な行動を取った結果として大きな社会的不公正が生まれるならば容認できないって書いているでしょ。で、何を社会的不公正とみなすかについては、倫理というか価値観の問題として個別に議論していかなくちゃいけないと思うんだけど、その倫理をストレートに訴えかけても、もちろんまったく無意味。
 そうじゃなくて、何を社会的不公正とみなすかという時点で倫理は必要だけれど、ある状況が不公正だと判断したら、インセンティヴ配分を是正することで各アクターにとって何が「合理的」なのかを変えなくちゃいけない。わたしはそういう主張をしているのね。まぁ確かに「偏見による差別」を無条件で片っ端から禁止すべきだという主張はしていないけど(そのあたり id:j05ex さんは読み違えている)、容認しているわけでもないってこと。