パトリック・カリフィアさんとお食事しちゃった件

 ノースカロライナ大学で行なわれたセクシュアリティ系のコンファレンスから帰ってきた。そうは言っても家にいられるのは今日だけで、明日からまたロードアイランドアリゾナへ5日間の旅。ホテルや空港にいると暇なのでつい友人に電話をかけまくってしまうので、迷惑をかけてないか不安。
 コンファレンスでは、基調講演をインターセックスの話題でやったあと、性労働者運動についてのワークショップをやったところ、短い時間だったのだけれど、かなりいい感じにまとまった。近いうちエントリにしたいな。ちなみにワークショップには、『セックス・チェンジズ』『パブリック・セックス』で知られるパトリック・カリフィアさんが来てくれた。
 カリフィアさんと言えば、合意ある性行為にこれが正常であれが異常みたいな区別はないと主張するセックス・ラディカリズムの代表的な論者。この立場に立つ論者の多くは性労働の問題についてそれが「労働」という経済行為であるという事実を忘れて、ただ法やモラルによる制約を批判すればそれで済むと思っているみたいな人もいるのでちょっと不安だったのだけれど、実際に話してみたところ、そのあたりの認識もしっかりしていたようで良かった。一緒にランチに行って話し込んでしまったよ。その際、ちょっと驚愕すべき事実が発覚したのだけれど、それについては現在調査中なので後に報告します。
 

 帰りはラレイ/デューラムからシカゴまで3時間、シカゴからポートランドまで4時間半の旅程はさすがに長い。エコノミスト Thomas Sowell が書いた『A Conflict of Visions: Ideological Origins of Political Struggles』(2002) を読み終えちゃったよ。性善説性悪説みたいな(というのは端折り過ぎだけど)基本的な人間観の対立が、法や政治や経済におけるさまざまな問題における対立構図を作っていることを18世紀から現在までの代表的な論者を挙げて説明する本。
 経済学者である著者は当然、性悪説(というか、人間は基本的に利己的でありその点は変化しないという認識)にコミットしているはずで、どおりで性悪説の方が魅力的に描かれているような気がするのだけれど、それはわたし自身が性悪説を取る立場だからそう感じただけかな?
 でも、これを読んで、性善説(というか、人間は理性的な啓蒙によって自分の利害を超えた普遍的な視点に到達することができるという認識)が幅を効かせる活動家業界(某イダさんなんてその典型だな)でわたしの話が通じない理由はわかったような気がする。売買春の話にしても、「売買春を撲滅する」ことを主張している人も、合法化によって問題は解決できると主張する人も、人間の無限の可能性を信じ過ぎだもんなぁ。


 ところでファウストスターリングさんへの質問、全然来てないね。残念。