プロアナは肯定しつつ、摂食障害は問題ではないとはいえない

 井出草平 (id:iDES) さんが精神科医・井上洋一氏の論文を引用しながらこんなことを書いている。

 個人的には、摂食障害は問題ではないという意見に同意できない。
 つまり、摂食障害と言ってもほとんどは死なないし、吐いたとしても死ぬわけではないから問題がない、という主張である。この主張には同意できない。
http://d.hatena.ne.jp/iDES/20070421/1177171719

 これってわたしに対する批判かなぁと思って井出さんに聞いてみたところ、違うと言われたのでちょっと安心。てゆーか、わたしはもちろん「死ぬわけじゃないから問題がない」なんて乱暴なことを言ったわけじゃないんだけど、過去にはわたしの意見をそのように誤読した人がいたからね。その経緯はこちら
 で、そちらのコメント欄における Day さんという人との議論を読んでもらえると分かると思うんだけど、わたしの言っていることは実は井出さんの主張とほとんど違わない。摂食障害とは他の何かを食べ物や摂食行為に置き換えて起きるものだとする見解もその通りだと思うし(ただし、わたしは井上氏が例に挙げている「親の愛情の欠如」より「自己コントロールの不可能による不全感」の要素を重視している)、摂食行為の問題に目を奪われるべきではないという意見にも同意。プロアナに見られるような摂食行為の異常そのものを問題視するのではなく、かれらをそれほどの強迫性に追い立てている社会的状況に目を向けるべきだと考える。
 もう一つの、摂食障害に陥ることによって新たな問題が引き起こされる点については、こういうことだと思う。わたしの考えでは拒食や過食嘔吐は自己コントロール感を獲得するための行為だけれども、それにより十全感や充実感を得るようになると、依存が生じてしまう。依存は自己コントロール感の低下をもたらすから、さらに拒食や過食嘔吐を続けることによって自己コントロール感を回復しようとするうちに、摂食障害のループに陥るしかない。こうなると、もはやもともとあった不全感とは無関係に拒食や過食嘔吐を続けることが生きる事の中心となってしまう。「十分痩せたからもう止めよう」とはならず極限まで拒食を続けてしまう人は、そういう状況なのではないかと思う。
 そういうわけで、摂食障害は何も問題でないとか、放っておけば良いと済ませるわけには到底いかない。けれども、だからといって(最近スペインであったように)プロアナのサイトを閉鎖させるなどすることが良い結果をもたらすとは思えないし、井上氏も警告している(ように井出さんの引用部分からは読める)ように家族や医者が患者の考えを否定し孤立させることは問題を深刻化させることにしかならない。かといってどうすれば良いのかというと個別の状況を見ずには答えられないのだけれど(というか、個別の状況が分かっていても難しい)、まずはどういうメカニズムで摂食障害が生じ、また抜けられなくなっていくのか周囲がきちんと理解することからはじめる必要がありそう。