非主流派経済学セミナーへの冒険@カルスタ学会
これ、書こうかどうか迷ってたんだけど、リクエストがあったので書いちゃおう。先週行ったカルチュラルスタディーズ学会総会で行った「経済学への抵抗」というセミナーについて。ちょっとした興味で覗いてみたんだけど、これぞカルスタの暗部だよなーと思わされた。
ちょっと事情を知っている人ならこれでもう分かるだろうけど、このセッションに参加していたのはいわゆる heterodox economics と呼ばれる非主流派経済学の信奉者たち。非主流派というだけあってかれらの理論的ベースはいろいろなんだけど、かれらが共通して仮想敵としているのはいわゆる新古典派の経済学。しかしセミナーを「主流派経済学への抵抗」ではなく「経済学への抵抗」と名付けていることから、ぶっちゃけ新古典派の正統性を承認しちゃっているようにも見える。
で、具体的にどういう点で新古典派経済学ではまずいのか良く分からないのだけど、誰となく「最近は新古典派のバックラッシュが勢いを増していて、かなわないよねぇ」みたいに言い合ってはスノビッシュに嘆いてみせていた。どうやら例の『ヤバい経済学』のブーム(ニューヨークタイムズで連載されている)もそのバックラッシュの一環らしいんだけど、それを言い出した学者は「あんな本がブームになって…」と言ってはため息をこぼしてみせるだけ。『ヤバい経済学』のどこがまずいのか、あるいはあの本がブームになってはどういう風に問題があるのか、言うまでもないよね、みたいな感じだけど、きちんと言って欲しかった。
議論の内容はというと、6人くらいの学者たちが交互にごちゃごちゃ訳が分からないことを言うんだけど、「オーストリア学派」とか「ラクラウ・ジジェク論争」とか、そういやそんなのあったよなみたいな単語ばかり聞こえてしまう。それはまぁわたしの無知もあるんだけど、思わせぶりに固有名詞を連発するばかりで肝心の論理の突き合わせが抜けてるからのようにも思う。
そもそも参加者のあいだで明らかに「経済」とか「システム」とかいう言葉の定義の齟齬があるのに、言葉の意味すら突き合わせずに「インドに経済システムはあるのかないのか」みたいな議論になっている。それがインドの経済を理解するのにどのように役に立つのか全然分からない。さらにもっとすごいのは、アダム・スミスの「見えざる神の手」が右手なのか左手なのか、それとも両手あるのかと延々と議論してたけど、あれは一体なんなんだろうか。想像するに、神の左手というのはマルクス主義経済学やその系統に関係するんだろうけど、言葉遊びじゃなくてもっと具体的な話をしてくれや。
他にも意味不明のメモがたくさん残ってるんだけど、書いていてアホらしいのでこのあたりでやめとく。わたしは別に主流派経済学の関係者でもないし、それなりに知的な興味を持って非主流派経済学の話を聞いてみようと思ってこのセミナーに出てみたんだけど、結局わけがわかんないままだったな。まぁでも、こんな議論ほかであんまり見れないし、良しとするか。こらお前、理解できないのはお前が不勉強だからだ、と思った人は、分かりやすい入門書を教えてくださいね。
# ところで、「見えざる神の手 (the invisible hand of God)」で検索すると、なんだか楽しげなサイトがやたらと見つかりますねぇ。