リカちゃん人形問題に関連して、規範と美意識の区別

 某秘密主義ジェンダー研究メーリングリストにおいて、著名なフェミ系研究者が「リカちゃん人形の好きなおじさんだったらキモイ!!」という jender な発言をしたことについて、id:annojo さんが id:annojo:20070712:p2 で論じている。

「リカちゃん人形が好きでない女の子がいても良いじゃないか」という主張と、「リカちゃん人形の好きなおじさんだったらキモイ!!」という主張を同時にすることは、女性では「典型的でないジェンダーロールの行動でも良い」と言う主張で、男性では「典型的でないジェンダーロールの行動は悪い」という主張であり、矛盾して、ナンセンスだと思っていたが。
しかし、2つの命題を矛盾なく説明できる論理構成があることに気がついた。
「典型的でないジェンダーロールの行動の是非」を論じているとすれば、2つの意見は確かに矛盾する。
しかし、「リカちゃん人形好きな人間はだめ」というのが主張であれば矛盾しない。
 より幅広く言えば、「女性的な行動はだめ」で「男性的な行動はえらい」という論理になるだろう。

 そこまで考えているとはどうしても思えない。ただ単に、個人的な偏見を表明しただけでは。
 ていうか、他にも「2つの命題を矛盾なく説明できる論理構成」があると思う。
 そもそも、「非典型的なジェンダー表現でもいいじゃないか」と、「非典型的なジェンダー表現をする人はキモイ」は全然矛盾しない。前者は規範意識であり、後者は個人的な美醜の感覚だからね。単なる自分の嗜好にすぎないモノを公の場で発言するべきかどうかは別として。例えば「男がスカートをはいてもいいじゃないか」という主張はできても、「男がスカートをはいてもキモイなんて思ってはいけない」という要求はできないように思う。
 ただ、「女性的=ダメ」という価値判断は、フェミニズムの中だけではなく世の中全般に結構あるわけで、それがフェミニズムの内部にもあるよ、という Julia Serano『Whipping Girl: A Transsexual Woman on Sexism and the Scapegoating of Femininity 』の指摘は重要。この発言をした著名研究者も「女性的な行動はだめ」という意見は抱いていないだろうけれど、無意識的にそういう偏見くらいは持っているかもしれない。