id:s-ryooさんに再びお応え、と、ブクマコメントにお応え。

 続いて、エントリ「在日朝鮮人・韓国人社会の側にも変化が必要、だけど、そのためにも日本社会の変化が重要 (s-ryooさんへのお返事)」へのコメントやブクマコメントにお応え。いろいろな意見が集まって、なんだかおもしろい。
 まずはコメント欄の id:s-ryoo さん。

s-ryoo 2009/05/07 21:37
御返事ありがとうございます。
御考えは理解します。ただ日本社会と在日韓国・朝鮮人社会のどちらが先に変わらねばならないかを議論するのは余り意味の無い事だと思います。どちらも変わらねばならないし、それは早ければ早い程良いと思ってます。
(以下略)

 どちらも変わらなければならないし、早ければ早い程良い、というのに同意です。
 ただ、わたしがあえて「どちらが先か」を論じているのは、時間的な順序という意味ではなく、責任の重さの順序という意味で解釈してください。


 以下、ブクマコメントから。

API 韓国, 北朝鮮, 日本人 戦前に日本に徴兵、徴用された朝鮮人は確かに居る。だけど戦争が終わった後は自由に帰れたよね。実際に戦後韓国や北朝鮮に帰った朝鮮人はいっぱい居るよね。残った人達は好きで日本に残ったんじゃないの? 2009/05/07

 好きで残ったら何か悪いの? 一度かれらを一方的に日本国民として扱っておきながら、また一方的に国籍を剥奪することが、どうして正当化されると思うわけ?

sumitsubo (´・ω・`), 韓国人, 日本人, 国籍, 在日朝鮮人 まず(1)差別の原因は何か(2)強制連行による在日が真実か否か(3)帰れるのに帰らない理由は何か の3点を議論できないなら双方の認識の変化は意味を永遠に成さないと思うのだが。 2009/05/07 (注:丸数字が読めない人もいると思うので、(1)(2)(3)という形に書き換えました)

 (1)について、差別が生まれる要因を社会学的に研究するのは良いですが、あなたがここで持ち出す意図はなんでしょうか。まさか、差別されるのは差別される側に責任があるのだとでも言いたいわけ?
 (2)ですが、強制的に連れてこられた人もいますが、貧困などを理由に機会を求めて日本に来た人が多数であったというのは、少なくとも現代ではほとんどの論者が認めるところでしょう。だから何?
 (3)について、それは個人の生き方ですから一概に言えないでしょうが、いま日本に住んでいる在日朝鮮人・韓国人の多くは二世以降であり、日本で生まれ育っているわけですから、民族的ルーツがあるからといって韓国や北朝鮮に「帰らない」(という言い方も変ですが)のは別になんら珍しいこともない、普通のことでしょう。「帰らない理由は何か」という問いは、まるでかれらが帰るのが当たり前であるかのような言い草ですが、日本で生まれ育った人が日本に残るのはそれこそ当たり前でしょう。
 結局、あなたは何が言いたいの?

call_me_nots 楽観的すぎるかなー。日本政府がそうしても狭義の国民は思考を変えず→就職面にも残る感覚的な差別化は消えない→彼らの異色なコミュニティ形成は変わらん気が。変わらずとも議論はされるべきだが。 2009/05/07
mafawe 無理だろ。 2009/05/07

 うん、無理っぽいかも。
 慰安婦問題をめぐる論争において、村山政権のときに河野談話というのがあって、日本政府は正式に慰安所制度への関与の責任を認めて謝罪しました。当時の自社さ政権の判断としては、しばらく保守派から反発があったとしても、関与を認める談話を出してアジア女性基金を通した「償い事業」を既成事実化してしまえば、慰安婦問題を後世に先送りすることなく、一定の解決をもたらすことができるだろう、と読んでいたのだと思います。しかしみなさんご存知の通り、一部の過激な国粋主義者だけでなく、のちに首相となったような有力政治家までもが河野談話をおおっぴらに否定し、さらには外国の新聞に大きな意見広告を出すという事態まで起きてしまい、村山政権の狙いは完全に外れてしまいました。
 このことからは、やはり国民的な合意を作りださないまま、時の政権の意向だけでこのような大きな問題を解決しようとするのは、とてもリスクが高いことなのだ、ということが確認されたと思います。同じように、仮に日本政府が在日朝鮮・韓国人に対して一方的な国籍剥奪の責任を認めて謝罪したとしても、それが広く日本国民の支持を受けなければ、意図されるような効果は得られないでしょう。
 まぁ、わたしがブログに「日本政府は謝罪するべきだ」と書きつつ、その日本政府の実力者に対して直接「謝罪しろ」と働きかけていないのは、働きかけるべき相手は日本政府ではなく、このブログをいま読んでいる読者だと思っているからなんだけど。

hituzinosanpo 社会 "日本社会の変化"には、戸籍制度の廃止を ふくめる必要がある。 2009/05/07
gokinozaurusu この国から国籍・戸籍という概念をなくしてしまった方が早い。すべての人が属する何かで判断されないために。 2009/05/07

 うーん、戸籍はともかく国籍までなくすというのは、ちょっとありえないでしょう。理想を語るのもいいけれど、理想から程遠い現実のなかで、動くパーツから少しずつ動かしていくというプラグマティックな作業をわたしは重視しています。
 あと付け加えると、国籍はともかくとして一般論として、「属する何かで判断されないため」に「属する何か」をなくすべきだ、というのは危険だと思うので、その点注意。悪いのは個人を「属する何かで判断」することで、文化的・集団的権利を否定することではないですからね。

mujige 在日朝鮮人, 国籍差別 国籍差別をなくせば、在日朝鮮人日本国籍をとる理由もなくなると思うが。いくら国籍取得の敷居が低くなっても「踏み絵は踏まない」という人は必ずいる。そうした人たちが「自己責任」として切り捨てられはしないか 2009/05/07

 国籍取得を進めるのではなく、国籍差別をなくせば良い、という主張には一理あります。わたしがそれに同調しないのは、特別永住者制度という歪な制度を温存するのは気持ちが悪い、というわたしの個人的な感覚の問題があります。
 もちろんわたしも、今すぐ特別永住者制度を廃止すべきだとは思いません。しかし今後何世代も何十世代もずっと維持していくべき制度だとは思わないのです。とくに、すでに特別永住者として生きている人からその資格を取り上げることには反対ですが、これから生まれてくる特別永住者の子どもたちに、日本国籍を与えない方が良いとは思いません。その子が自分の意志で判断できる年齢になってから日本国籍を放棄するのは構わないですが、生まれた時点では当然の権利として日本国籍を与えられるべきだと思います。
 すると次には、その子が大人になって自分の意志で国籍を放棄した場合、特別永住資格を得られるかどうかという問題が起きてしまいます。それについて考えると、制度移行の過程において当面はそういう選択肢も残すことになったとしても、ある時点になったら「国籍を放棄した場合、特別永住資格ではなく、通常の永住権しか認めない」ということになるのが自然です。とすると、やっぱり在日朝鮮・韓国人社会から大きな反発を受けてしまうでしょう。
 でも、国籍取得だけしか推進できない理由はどこにもないのです。国籍差別をなくす取り組みも進めるべきだし、特別在住者の子どもに限らずより広い範囲の外国人移民の子どもに日本国籍を与えるような変化も進めれば良いし(最終的には、出生地主義への移行が考えられます)、また特別永住者の権利を通常の永住者並みに落とすのではなく、通常の永住者の権利を特別永住者に近いところに引き上げるような改革もあっていいでしょう。id:mujigeさんが懸念するような事態を避けるためには、こういったさまざまな改革を同時に進めて行くことが必要かつ有効ではないかと思いますが、どうでしょうか。