「アルコール依存症は不治の病」イデオロギーの危険性

 先の記事のコメント欄の次郎さんへのお返事ですが、本来の話題から逸れてきたので新しいエントリにします。


 ええと、まず少しカチンときてしまったのはすみませんでした。わたしは文体から怖い人だと思われることがよくあるのですが、悪気はないです。
 依存症の回復ですが、たしかにこれといった有効な方法は確立されていません。さまざまな試みがなされていて、一部の人にはバレているようにわたしは認知行動療法のシンパでそこそこいけるんじゃないかと思っているんですけど、誰にでも高い確率で有効といった感じのプログラムはいまのところない。AAだって依存症を治癒するのは不可能だと言っているんだから、治療としては「有効」だとは言えないですね。
 AAは、治療は無理だから完全な断酒をするしかないというイデオロギーを掲げています。これはある意味、認知療法の一種と言えるかもしれない。ただし、普通は歪んだ認知をより現実的なものに修正するという治療が行われるのに対し、AAは「一滴でも口にしたら何もかも水の泡になる」という恐怖心ーーわたしにはそれこそ「認知の歪み」としか思えないのだけれどーーを植え付けることで行動を制御しようとしている。
 この他にも、AA参加者を依存状態だった時の仲間やコミュニティから引き離そうとすることや、ファーストネームだけを使うことでアイデンティティをあやふやな状態にすること、無根拠な連帯感をやたらと強調すること、第一のステップで絶対的な無力感を与えて他の何かにすがらせることなど、AAはマインドコントロールの教科書といって良いほどよくできています。ほら、はじめて参加したAAで優しく声をかけてくるおばさん、駅前で声をかけてくる新興宗教の人と似た印象を受けませんか?
 わたしがこう言うと、論理的に話ができなくなるくらい激怒して怒声もしくは涙ながらにAAを擁護しようとする人が結構いて、それを見てわたしは「やはりカルトだなぁ」という感想を抱くわけですが、念のため言っておくとわたしはAAが悪いともカルト一般が悪いとも思っていません。一見あやしげな宗教や自己啓発セミナーに入って生きることが楽になる人がいるように、AAのおかげで生きることが楽になる人だっている。それは誰にも否定できない。要は、それが有用だと思う人は勝手にやっていればいいんです。
 ただ、米国では政府がまともな依存症治療や依存者サポートにかかる予算(や、それらの研究にかかる費用)を浮かせるためにAAを利用している面があり、それは非常に困る。また、依存が要因で問題を起こした人に判事がAA(や、その麻薬版)への参加を義務づけることがよくあり、これも間違いだと思う。治療を受けろと指図するならそれなりの予算をつけるべき。
 最後に、「アルコール依存症は不治の病で、完全な断酒によってしか克服されない」というイデオロギーの危険性について。上に書いた通り、こうした主張は「一滴でも口にしたら何もかも水の泡になる」という恐怖によって行動を制御する効果があるわけですが、実際のところ一度断酒を決意してそのままずっと断酒したままという人はなかなかいない。つまりリラプスが起きるわけですが、その時にこのイデオロギーを強く信じ込んでいれば信じ込んでいるほど、すなわち恐怖が強ければ強いほど、一度飲み始めたら見境を失う危険が高くなります。だって、自分はアルコールに対して全く無力であり、一滴でも飲めばダメな人間なんだと思い込んでいるわけですから。そのため、結果的にイデオロギーの通りに「何もかも水の泡に」なってしまうという事態が起き、他の人たちはそれを見てイデオロギーへの信仰をさらに深めるわけですが(このあたりもカルト的)、そういう悲劇をイデオロギー自体が呼び寄せています。
 もちろん、アルコールで過去に問題を起こしたり困ったことがあった人の中には、「完全な断酒」を心から望んでいる人だっているでしょう。そういう人には、誘惑に抵抗するスキルや飲酒以外の方法で楽しんだりストレス解消したり人間関係を円滑にするようなスキルを学ばせるようなプログラムが提供されてしかるべきです。が、リラプスの恐怖によって依存者を縛るようなやり方には賛成できません。でもそういうプログラムは設計するにも実施するにもリソースを必要とするから、政府は予算がかからないAAに丸投げしちゃうわけですね。困った話です。