「負のインセンティヴ・スパイラル」実験と、良いアファーマティヴアクションのあり方

 本家ブログエントリ「市場が解決できない統計型差別と『負のインセンティヴ・スパイラル』」で解説した「負のインセンティヴ・スパイラル」という概念に関連して、ハーフォードが面白い実験を紹介している。問題の研究は Journal of Economic Education の 2005 年春号に「Experience-Based Discrimination: Classroom Games」として発表されており、ハーバード大学Roland Fryer を筆頭とするグループのものだ。
 この実験では、まず被験者が集められ、「雇用者」「求職者(緑)」「求職者(紫)」の3グループにランダムに分けられる。雇用者と求職者はコンピュータの画面を通して対面するが、その前に求職者は教育に投資するかどうかを決めることができる。教育に投資するとその分実験に参加した謝礼を減らすことになるが、就職試験でやや有利になるよう設計されている。就職試験は実際には単なるランダムで点数が決まるが、教育に投資するとより高い点数が出やすくなるのだ。
 雇用者は、コンピュータの画面に表示された点数と求職者の色(緑か紫か)だけを参考に、採用するかどうか決めなければならない。点数が高い求職者は教育に投資した可能性が高く、逆に点数の低い求職者は投資しなかった可能性が高いが、教育に投資したかどうかを直接知ることはできない。もし採用した求職者が教育に投資していれば雇用者の謝礼が増額され、投資していない求職者を雇ってしまった場合は減額される。また求職者は、めでたく採用されれば謝礼を増額してもらえる。
 このように、求職者・雇用者ともに一部の情報が不確か(求職者は雇ってもらえるかどうか分からない、雇用者は求職者が投資したかどうか分からない)な中、「投資する/しない」「採用する/しない」という二つの選択肢から行動を決め、その結果により謝礼の額を決定される。この実験では、これを数十回繰り返すことになる。
 最初に述べた通り、求職者が緑であるのか紫であるのかはランダムに振り分けられており、両者のあいだに特に違いは存在しない。しかしほんの数十人という単位の被験者数であることから、まったくの偶然によって教育に投資した割合には小さな差異が生じた。そして第二回のやり取りからは、前回のラウンドにおいて緑と紫の求職者がそれぞれどれくらいの確率で教育に投資したかという情報が、雇用者の画面に表示される。
 するとどうなるか。第一ラウンドで偶発的に生じたのはごくわずかな差異だが、第二ラウンドからはその情報が雇用者によって採用するかどうかの判断に使われることとなり、ある色の求職者は第一ラウンドより少しだけ採用される確率を落とした。すると求職者の側もそれを学習し、せっかく投資しても雇われる可能性は低いのだからと投資を避ける割合が少しだけ上昇した。さらにそれを学習した雇用者は、その色の求職者は投資しない割合が多いのだからとなおさら採用を避けるようになる。そうしたサイクルを繰り返すうちに、もともとほとんど違いがなかったはずなのに、最終的には緑と紫の求職者のあいだには大きな違いが生じてしまった。
 この実験を終えたあとの被験者の反応がおもしろい。偶然不利になってしまった紫の側のある求職者は、「このゲームは不正がある」と訴え、研究者が何らかの理由ではじめから紫が不利になるよう仕組んだのではないかと主張した。また緑の求職者は、投資のコストがどんなに高くても常に投資することに決めていたとして、「だって自分は緑なのだから、必ず採用されると信じていた」と語った。雇用者の役を担当した被験者は「紫の求職者は教育に投資しないからいけないんだ」と言い、紫の求職者は「せっかく教育に投資しても採用してくれないからいけないんだ」と言い返した。
 もともと全く違いのないはずの集団でもこれだけの差が生まれるのだ。奴隷制や隔離政策といった数百年にも及ぶ歴史のある人種差別の問題が簡単には解決しないのも当たり前に思える。
 この先考えるべきは、どのような施策を取れば緑と紫のあいだに機会の平等が回復できるかということだ。論文でも指摘されているが、例えば雇用者に緑と紫の求職者を同数雇うように義務づけるようなクォータ制は、紫の求職者が教育に投資する意欲を回復できないばかりか、投資せずとも採用されるのだからとますます投資意欲を損ねることになり、インセンティヴ・ギャップを解消できない(ここで「教育への投資」と書いているけど、これは教育に限らず自分の生産性を向上させるためのあらゆるコストのことだと解釈して欲しい)。
 より良い施策として被験者たち自身が提案するのは、例えば紫の求職者が教育を受けるためのコストに補助金を出すことだ。緑の求職者は1の投資をすれば2返ってくると期待するから自ら積極的に投資するけれども、紫の求職者は2投資しても1しか返ってこないと分かっているから投資するインセンティヴを持たない。それなら、教育にかかるコストを一部公費から負担すれば、1の投資で1以上返ってくると期待できるようになり、緑と同等に教育に投資するインセンティヴになる。もちろん現実問題として人種別の奨学金を公的に支出するというのは難しいだろうけれど、かわりに親の収入や学歴の低い人や、貧困地域に住む人が大学に行けるような奨学金などなら可能だろう。
 ハーフォードの言う通り、アファーマティヴアクションはやり方によっては人々が努力するインセンティヴを損なうこともあれば、「負のインセンティヴ・スパイラル」に巻き込まれて失われたインセンティヴを回復させることだってできる。人々のインセンティヴにどのような影響を与えるかという点は、アファーマティヴアクションのプログラムを評価するうえで最も重要な要素なのではないかと思う。